「凡庸ゆえに己知る強さ」
作家伊東潤さんが、徳川家康の成功を分析した、印象に残るエッセーを紹介します。
まず、家康には「律義」という一面があった。
家康は織田信長との清洲同盟を「律義」に遵守し、三方ヶ原合戦では勝ち目のない戦いを敢行し、武田信玄が織田信長と戦う前に、少しでも傷を負わせようとした。
また、「己を知っていた」 「分をわきまえていた」 「無理をしなかった」という点も家康が成功を収めた要因である。
さらに家康には、「失敗を忘れないようにする」 「何事も自責で考える」といった内省的な一面があった。
そして、このようなことは、家康の有名な遺訓(後世の偽作という説もある)に象徴的に表れている。
「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え、勝つことばかり知りて、負くることを知らざれば、害その身に至る。
己を責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるに勝れり」
人が生きていく上での基本がちりばめているこの遺訓こそ、家康の全てを表している。
天下人になるには天賦の才など必要ない。
人生の基本をわきまえていれば、「天下など誰でも取れる」ことを家康は教えてくれている。
人生の基本を学ぶことの大切さを伊東さんは強調されているのであって、基本を学ぶことは成功の必要条件であっても、十分条件ではありえません。
260年余の徳川時代の開祖たる家康が凡庸であったはずはありません。
その偉大さの一つは、家康が「歴史を学ぶ」のではなく「歴史に学ぶ」賢明さがあったことだと思います。
中国4千年の歴史の中で最高の治世は唐の2代目、太宗の「貞観の治」(24年間)だと言われています。
その治世をまとめた「貞観政要(じょうがんせいよう)」は、帝王学を学ぶ必須の書だと定評があります。
家康は、この「貞観政要」に深く学んだと伝えられています。