山岡鉄舟(その1) | 小田春人オフィシャルブログ「先人に学ぶ 産業と教育の復活」

山岡鉄舟(その1)

 山岡鉄舟といえば、今や知る人ぞ知る観のある人物です。

 勝海舟、高橋泥舟(でいしゅう)とともに、「幕末の三舟」と呼ばれ、ともに幕臣として幕末維新期に活躍した人で、剣の達人としても有名です。

 突然山岡鉄舟のことを書くのは、大学時代の同級生深津孝男さんからメールを貰ったからです。

 「10月のクラス会お越しになりますよね。小田さんの座右の銘、“命もいらず、金もいらず‥‥”。南洲翁遺訓読んでませんが、南洲翁にこう言わしめた幕臣山岡鉄舟とは、そこそこご縁があります。そんなこと、時間許せば話しましょう」

 さっそく電話をしてみると、山岡鉄舟が建てた禅寺、全生庵(ぜんしょうあん)で、10数年来、年3~4回座禅を組んでいるとのこと。

毎年20人位集まる(10月第3金曜日と決めている)クラス会では、そんな話を聞いたことはありませんでした。私の座右の銘を思い出して、連絡を貰ったのは何より嬉しい限りです。

 「命もいらぬ、名もいらぬ、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るものなり。この仕末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業を成し得られるなり」

 西郷隆盛は、山岡鉄舟を想起して、この言葉を語ったといわれています。

 山岡鉄舟は、明治元年3月、西郷隆盛が江戸総攻撃に向けて江戸に下る途中、決死の覚悟で駿府に乗り込んできて、八百万市民を救うためにと江戸城総攻撃中止を訴え、そのかわり江戸城無血開城を約したのでした。

 それを受けて、西郷隆盛は江戸、高輪の薩摩藩邸で勝海舟と会い、有名な「江戸城明け渡し会談」が行われたのです。

 政治の世界に入り、「南洲翁遺訓」を読みこの言葉に特に感銘を受け、座右の銘にしようと決めたのは、こういう史実の背景があったこともあります。

 まさに、山岡鉄舟は剛毅胆力の人であったのです。