超党派有志で長野県へ県外調査(その2) | 小田春人オフィシャルブログ「先人に学ぶ 産業と教育の復活」

超党派有志で長野県へ県外調査(その2)

 何と添乗員が、待ち合わせの岡山駅に現れなかったのです。

 見送りに来た当旅行会社社長が、急遽切符を再手配して、7時発の新幹線にギリギリ間に合いました。添乗員が日にちを間違えるという考えられない珍事(?)です。

 珍事の後は、珍事件(?)です。

 中津川ICから乗った中央高速道、暴力団組員が2台並んで停まり通行妨害をする珍事件が起きました。この影響で最初の調査地は1時間遅れで、何とか事無きを得ました。

 通常は伊那市から長野市は2時間のところ。この事件のあおりで5時間もかかりました。有り得ない交通渋滞です。

 結果、長野県庁での、「しあわせ健康県」を目指しての取組や、中山間地域振興の取組調査は中止の止むなきで、残念にも迷惑をかけることになりました。

ホテルで合流した添乗員には2日目は案内して貰わぬことになり、中川雅子議員に添乗員役をお願いし思い出に残る弥次喜多道中と相成ったのであります。

 さてさて、前置きが長くなりました。本題に入ります。

最初の視察は伊那市郊外にある(有)スワニーです。

 橋爪良博社長(40歳)は、高校卒業後大手メーカーに就職し、設計や試作を担当し、ものづくりの基礎を学びました。そして平成22年、35歳のとき祖父が創業した電子部品製造業のスワニーを継ぎました。

 「このまま製造業を続けていては、スワニーは生き残れない」と考えた橋爪社長は、商品設計の分野への転進を決意。

 5千万円もする、3Dプリンターを導入し、制作期間やコストを大幅に抑えた金型を製作する「デジタルモード」と名付けた技術を開発しました。

 今では「スワニーはものづくりの駆け込み寺」とも言われ全国にも知られるようになったということです。

 とまあ、ここまでは意欲的な後継者の苦心再建成功ストーリーですが、橋爪社長がユニークなのは、実はここから先なのです‥‥。