世界文化遺産登録
今年7月5日、「明治日本の産業革命遺産-製鉄・製鋼、造船、石炭産業-」が世界文化遺産に登録されました。余談ですが、韓国の理不尽な猛反対で話題にもなりました。
今回登録されたのは、九州を中心に8県11市、23件の遺産です。
その遺産の一つ、尚古集成館を視察しました。
幕末、薩摩藩主島津斉彬(なりあきら)は東洋最大の工場群を築きました。製鉄、大砲、造船、紡績、薩摩切子などの産業を興したのです。
富国強兵、殖産興業政策を先陣を切って推進したものです。
どのような意義があったのでしょうか?
「19世紀半ば、イギリスやフランスなど欧米列強が東アジアへ進出してきました。
西欧の列強の強引な手段、そして強大な軍事力に危機感を強めた有識者たちは、西欧の科学技術を導入して、沿岸防御用の大型砲を鋳造し始めました。
これが日本の近大化、工業化の始まりです。
日本の近大化、工業化というと西欧の猿真似だったというようなイメージを持たれる方もいらっしゃいますが、そのような単純なものではありません。
日本の在来の技術と西欧の技術をたくみに融合させたものであり、また導入にあたっては日本人らしい柔軟な対処・工夫もなされています。そして、この世界的に特異な日本の近代化、工業化のもっともうまくいった事例が、薩摩藩主島津斉彬(1809~1858)が興した集成館事業だったのです」
尚古集成館で購入した、「島津斉彬の集成館事業-図録 薩摩のモノづくり-」には、このように書かれています。
幕末きっての名君と謳われている、島津斉彬の歴史的偉業の足跡が尚古集成館を見学すると伝わってきます。