「地方こそ日本再生のフロンティア」
「社会活動家で法政大学教授の湯浅誠さんは、従来の公共事業や企業誘致による“外需型”の地域活性化から『今ここにあるもの』に注目する“内需型”への転換を訴える」と、山陽新聞元旦社説で紹介された、「地方こそ日本再生のフロンティア」と題する「2015年の論点」(文藝春秋)にある論考は興味ある視点を提供してくれます。
湯浅教授の主張。
「地方が大変だ」と言えば、以前はやることが決まっていた。公共事業と企業誘致だ。高度経済成長以来の「伝統」で、今も少なからぬ自治体が、この伝統を忠実に守っている。
しかし、異なる芽も出始めた。一次産業の六次産業化、観光、自然エルルギー、福祉的事業などを通じた人の再活性化による地域活性化だ。
私はこれらを「新四本柱」と呼んでいる。公共事業と企業誘致が東西両横綱だとすると、新四本柱はまだ平幕。とうてい「主流」の域には達していない。
しかし、元気な平幕力士はときに大金星をあげる。私はこの元気な平幕力士たちに世代交代の息吹を感じ取っている一人だ。
新四本柱は、「今ここにあるもの」に注目する。
「こんなもの」と卑下していた地元産品に海外市場進出の可能性を見出す。
古民家や古い町並みに国内外の観光客を呼び込む可能性を見出す。
太陽光、太陽熱、風、地熱、すべてここにあるものだ。
人も同じ。町の「お荷物」に町の「担い手」になる可能性を見出す。
つまり“内需型”。ストーリーは地域の歴史、文化、そして人々の愛着だ。
それを象徴するのが、「ないものねだりより、あるものさがし」という地域活性化のスローガンだ。
それはさらに進んで「ないものはない」(島根県隠岐郡海士町のロゴマーク)を生みだした。
ないものねだりを止めて、今ここにあるものを探そうという呼びかけから、ないものはないんだという断言へ。同時に、ないものなどない、人間の育ちと暮らしに必要なものはすべてここにあるんだという宣言へ。
ここまでくると、両横綱恐るに足らずという平幕力士の気概が見えてくる。
吹っ切ったものは、「中央」への依存心と、持ちつ持たれつの依存関係だ。
湯浅教授の論考に説得力があるのは、公共事業と企業誘致という両横綱の力を否定していないことです(限界がはっきりしてきたと言いつつも)。
特に公共事業を、“蛇蝎(だかつ)”のごとく毛嫌いする、一部のマスコミや識者の“ステレオタイプ(型にはまってしまった思考様式)”な主張には、正直言って辟易するものがあります。
東西両横綱と平幕という比喩も秀逸です。
「依存から自立へ “地域の宝”生かす気概を」という山陽新聞の社説とピッタリ相通じるところありです。
これからの地域活性化、地域づくりについて、まことに示唆に富む論考です。