憲法記念日に想うこと
今日は、憲法が施行されて67周年の憲法記念日です。
改めて言うまでもなく、この間世界情勢も国内情勢も全く様変わりしました。
今では、憲法改正も集団的自衛権も自由に議論できますが、昭和50年代にあっても決してそうではありませんでした。その当時の保守系論陣の論考を読みかえしてみると、抑制的な議論が行われていたことが分かります。
私が敬愛する、信念の政治家平沼赳夫衆議院議員は、3回目の正直で昭和55年に初当選されました。憲法改正の主張は票が減るからと支援者に何度も忠告されたと述懐されています。
今や、世論調査でも、憲法改正に賛成する人が過半数を超えるまでになりました。しかし、まだ現実的に改正するには高いハードルがあります。
ちなみに、イギリスやニュージーランドのように成典化憲法を持たない国家は別にして、178の国家が成典化憲法を持っているそうです。日本国憲法は、古い方から数えて15番目です。わが国より古い14の国はすべて改正を経験しています。
18番目のドイツは、実に48回も改正しています。同じ敗戦国でも大きな違いです。統一後も適用されている憲法(名称は「ドイツ連邦共和国基本法」)には、当初軍に関する規定は全くありませんでした。
1954年と56年の改正で、基本法を改正して軍隊を持つことだけでなく徴兵制も導入したのです。
憲法と現実の乖離(かいり)現象が起きれば、憲法を変えることも視野にいれるべきだという立場と、なんとか解釈で対応していこうという立場の違いでしょうか。
乖離が限界を超えるようになれば、解釈の変更もしなければなりませんに、憲法改正も視野に入れるべきだと私は想います。