「運を育てる」 | 小田春人オフィシャルブログ「先人に学ぶ 産業と教育の復活」

「運を育てる」

 米長邦雄(よねながくにお)元将棋名人には、

「運を育てる」という著書があります。

 名人位獲得(平成5年5月)のすぐ後、7月に

出版されています。

 「女神の研究をして50年。彼女に好かれる

ノウハウを、あまねく皆様方に公開したのが

本著です」として、様々なエピソードとともに

その蘊蓄(うんちく)を披露されています。

 米長さんの考えを一言で表現すれば、「勝利の

女神は、謙虚と笑いと素直な心を好む」ことです。

 この精神を忘れず、「消化試合にも全力投球」、

つまり、事の軽重を問わず「眼前の一局」に全力

投球することが大切だと説かれています。

 余談ですが、「兄貴たちは頭が悪いから東大へ

行った」という米長さんの有名な“名言”について

真相をこう書かれています。

 「私が『3人の兄は馬鹿だから東大へ行った。

私が頭がよいから将棋指しになった』(これは故、

芹沢博文九段の作り話です。私がこのような

“本当に思っている事”を口にする訳がない)と

発言したという話が巷間に流布したとき、兄の

ところに、わざわざ真偽を確かめに行った人がいた。

 兄、答えていわく。

 『あの弟の兄貴は、馬鹿でないと務まりません』」


 米長さんの“人物像”を彷彿(ほうふつ)と

させてくれます。

 また、岡山県にもゆかりがあったことを、昨年

12月19日の山陽新聞はこう伝えています。

(18日に死去されました)

 「最後のタイトル戦となった第52期名人戦

第1局は1994年4月、倉敷市大山名人記念館の

開館を記念し、市芸文館で指された。当時50歳、

27歳下の挑戦者、羽生善治(はぶよしはる)4冠

(当時)との対局は注目を集めた。

第1局に敗れタイトル防衛もならなかった」

 日本将棋連盟会長としても、倉敷藤花戦

などで岡山県を度々訪問されたとのことです。

 19日付の新聞各社は、米長さんの死去を

大きく取り上げています。

 東京都の教育委員も務め、将棋界だけなく

残された“大きな足跡”の証明でありましょう。