「約束の日 安倍晋三試論」(その1)
日本政治への危機感が余りにも昂じたから
書いたという。文芸批評、音楽批評を専門とする
小川榮太郎さんが、丹念に実証的な手法を駆使した
異色のルポルタージュです。
まず、こんなエピソードから始まります。
著者が政治評論家の三宅久之さんから聞いた話。
朝日新聞の若宮啓文(よしぶみ)論説主幹(現主筆)と
三宅さんとのやりとり。
三宅「朝日は安倍というといたずらに叩くけど、いいところはきちんと認めるような報道はできないものか?」
若宮「できません」
三宅「何故だ」
若宮「社是だからです」
三宅「安倍叩きはうちの社是だと言うんだからねえ。」
「安倍の葬式はうちで出す」とも幹部が言っていたそうです。
若宮論説主幹といえばかつて、「例えば竹島を
日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは
思えない。ならばいっそのこと島を譲ってしまったら、
と夢想する」(2005年3月27日朝日新聞)と書いて、
当時論壇で大変な顰蹙を買ったのを覚えています。
朝日新聞を目の敵にしようというのではありません。
極論であろうと、正々堂々と社論を展開して貰って
結構です。
但し、「不偏不党」の看板だけは降ろしていただきたい
ものです。