「汚職で国は滅びない」 | 小田春人オフィシャルブログ「先人に学ぶ 産業と教育の復活」

「汚職で国は滅びない」

 「『夏彦の写真コラム』傑作選1」(新潮文庫)に掲載されている「汚職で国は滅びない」という山本夏彦さんのコラム全文を紹介します。
 「リベートや賄賂というと、新聞はとんでもない悪事のように書くが、本気でそう思っているかどうかは分からない。
 リベートは商取引にはつきもので、悪事ではない。ただそれを貰う席にいないものは、いまいましいから悪く言うが、それは嫉妬であって正義ではない。だからといって恐れながらと上役に訴えて出るものがないのは、いつ自分にその席に坐る番が回ってくるか知れないからで、故に利口者はリベートをひとり占めしない。いつも同役に少し分配して無事である。会社も気をつかって交替させ、同じ人物をいつまでもそこに置かない。
 我々貧乏人はみな正義で、金持と権力ある者はみな正義でないという論調は、金持でもなく権力もない読者を常に喜ばす。タダで喜ばすことができるから、新聞は昔から喜ばして今に至っている。これを迎合という。
 城山三郎著『男子の本懐』(新潮社)は、宰相浜口雄幸と蔵相井上準之助を、私事を忘れて国事に奔走した大丈夫として描いている。けれども二人は共に非業の死をとげる。
 当時の新聞は政財界を最下等の人間の集団だと書くこと今日のようだった。それをうのみにして、若者たちは政財界人を殺したのである。
 汚職や疑惑による損失は、その反動として生じた青年将校の革新運動によるそれとくらぶればものの数ではない。血盟団や青年将校たちの正義は、のちにわが国を滅ぼした。
 汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼすのである。
 今も新聞は政治家を人間のくずだと罵(ののし)るが、我々は我々以上の国会も議員も持てない。
 政治家の低劣と腐敗は、我々の低劣と腐敗の反映だから、かれにつばするのはわれにつばすることなのに、われはかれに勇んでつばすることをやめない。
 昭和55年4月17日号の週刊新潮のコラムです。今現在書かれたとしても・・・・・です。
 山本さんは、いつも規定量を大巾に超過して書き、それを推敲(すいこう)の段階で削りに削ったそうです。言いたい放題を言っているようで、緻密な構成となっているのです。(藤原正彦さんの解説)
 このコラムも、様々な受け取り方ができる文章表現であり、誠に含蓄があります。
 私が最も感銘を受けたコラムです。