横綱の品格(その3) | 小田春人オフィシャルブログ「先人に学ぶ 産業と教育の復活」

横綱の品格(その3)

 「イマダ モッケイタリエズ フタバ」
 昭和14年1月場所で安藝ノ海に敗れ、70連勝ならなかった時に、双葉山は親しい人にこう打電しました。
 その背景には、双葉山が師と仰いだ、稀代の漢学者安岡正篤(まさひろ)先生から教えて貰った「木鶏の話」がありました。
 中国の古典、「荘子」や「列子」に出てくる「木鶏の話」とは―。
 その昔、闘鶏飼いの名人に紀消子(きせいし)という男があったが、あるとき、さる王に頼まれて、その鶏を飼うことになった。
 10日ほどして王が、「もう使えるか」ときくと、かれは「空威張りの最中で駄目です。」という。
 さらに10日もたって督促すると、「まだ駄目です。敵の声や姿に昂奮します。」と答える。
 それからまた10日すぎて、三たびめの催促をうけたが、「まだまだ駄目です。敵を見ると何を比奴(こやつ)がと見下すところがあります。」といって、容易に頭をたてに振らない。
 それからさらに10日たって、かれはようやく、次のように告げて、王の鶏が闘鶏として完成の域に達したことを肯定したというのである。
 「どうにかよろしい。いかなる敵にも無心です。ちょっとみると、木鶏(木でつくった鶏)のようです。徳が充実しました。まさに天下無敵です。」
 「これはかねて勝負の世界に生きるわたしにとっては、実に得がたい教訓でありました。わたしも心ひそかに、この物語にある『木鶏』のようにありたい―その境地にいくらかでも近づきたいと心がけましたが、それはわたしどもにとって、実に容易ならぬことで、ついに『木鶏』の域にいたることができず、まことにお恥ずかしい限りです。」
 双葉山の品格、双葉山の真骨頂ここにあるとのエピソードであります。