「雨ニモマケズ」(その2) | 小田春人オフィシャルブログ「先人に学ぶ 産業と教育の復活」

「雨ニモマケズ」(その2)

 調べると、宮沢賢治がこの詩を書いたのは、1931年(昭和6年)11月3日頃、35歳の病床のことです。
 37歳で亡くなる2年前です。
 そして、その40日余り前の9月21日、石灰肥料の調査とセールスの仕事で絶望的に体力を消耗し、東京神田の八幡館という旅館で高熱を発する中、もうあとはないと両親に遺書を書いています。
 「この一生の間、どこのどんな子供も受けないような厚いご恩をいたゞきながら、いつも我慢でお心に背き、たうとうこんなことになりました。
 今生で、万分の一も、つひにお返しできませんでしたご恩は、きっと次の生、又次の生でご報じいたしたいと、それのみを念願いたします。」
 遺書を書いた後の病床でのこと。
 道理で、「雨ニモマケズ」には、宮沢賢治の“覚悟”が宿っているわけです。
 もっといえば、その覚悟は“捨て身の覚悟”です。
 「雨ニモマケズ」の背景を初めて知りました。
 「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る。以て師と為るべし。」
 過去の出来事を謙虚に学び、真実を会得することから、今に生かすべき新しい価値の発見をすることができます。
 “雨ニモマケズ、風ニモマケズ‥‥‥”