3日目 | 小田春人オフィシャルブログ「先人に学ぶ 産業と教育の復活」

3日目

2008年02月04日

 早朝6時30分、シェムリアップのビクトリア・アンコールホテルを出発。4WDの三菱パジェロに分乗して、やや北へ取り一路西へと300km先のタイとの国境に接するタサエンに向いました。
 ここが地雷処理をしている今日の目的地です。
カンボジアの朝は早い。市内に通勤する?とおぼしき自転車の集団と30分以上も延々とすれ違いました。
 この国では、バイクの2人・3人乗りはへっちゃらで、4人の乗りも珍しくありません。完成すれば4車線になると思われる、舗装をしていない地道を時速60~70kmで疾走して行きます。 
右も左も見渡す限り平坦で、乾期なので作物を植えていない田(畑)が一面に広がっています。
左側に続いていた電柱もいつしか見えなくなり、家といえば、高床式の住居が転々とあります。まとまった集落は9時に通過した町だけです。
 ここで出迎えていただいたJMAS(ジェマス)の高山良二さんと合流。4車線の国道6号線を走ること3時間半。10時頃左に曲がり2車線道に入ると路面も荒れてきました。
 あさから6時間、腰が痛くなる頃12時30分、タサエンにようやく到着しました。
村で唯一の食堂で昼食を取った後に地雷原へ。車を降りて15分位歩いて現場に着きました。潅木の中に竹か木かはえているなだらかな林です。
高山さんから指示された行動以外は絶対しないよう厳重に注意を受けました。

高山良二さん↓

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そこでは、ディナン小隊長以下第1小隊34人のデマイナー(地雷を探知する人)が働いています。
服装は、JMASのマーク入りの作業服に、顔面を保護する透明のプラスティックがついたヘルメットと防護チョッキに長靴です。男性女性が半々か。
 テントがわりのブルーシートの下に、簡単な机といすがあります。ベニヤに貼ったM5513地雷原の地図を見ながらディナン小隊長から説明を聞く。

説明するディナン小隊長↓

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 15,076㎡の面積中、1月18日から今まで4,256㎡探知し、発見地雷は5個。不発弾は15個、鉄の破片58,062個とのこと。
 今日新たに1個見つかった場所に行く。ソ連製のPMNと呼ばれる対人地雷だという。直径10cm程の地雷が姿を見せている。

発見されたソ連製「PMN」と呼ばれる対人地雷↓


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地雷探知器を使う隊員↓

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 主に1980年代の内戦を中心に、全土に埋められた地雷の数は、400万~600万個と言われています。気が遠くなる数字です。今までに地雷処理をした地域は、極々わずか一握りです。
 「敵味方入り乱れて地雷を埋めるのは、敵の地雷を踏む恐れがあるのではないですか。」との質問を高山さんにしました。
 「戦争なんですよ。日本人はそう考えますが、命令とあれば危険も何もないのです。」と言われ、間の抜けた質問を恥じてしまいました。
 全員集まって記念写真を撮った後、話しました。誰もやめようと思ったことはないと言う。
平均24歳の浅黒い顔の隊員の表情には、使命感がみなぎっています。 
 世界の常識は、戦争の間に平和がある。日本の常識は、平和の間に戦争がある。
 平和な日本にいると想像もつかない過酷な現実がここにはあります。

第1小隊のメンバーと一緒に↓

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