摂食障害を脱する方法論を探る | おちゃずけのブログ

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「ローカーボでみんなできれいになろう!」

今週末開催される
ローカーボ勉強会大作戦主催
『摂食障害を脱する方法論を探る』の読書会
に向けて
猛烈読書中です。






集めた書籍はこちら↓





(図書館から借りてきた本もあります。当日お持ちします。)


中でも一番のお勧めは

『裏切りの身体  「摂食障害」という出口』
富澤 治


裏切りの身体-「摂食障害」という出口-(M.C.MUSE ARCHIVE 2)/(有)エム・シー・ミューズ

¥799
Amazon.co.jp





富澤先生は、2000例以上の摂食障害の患者を診てこられて
精神科医。

アマゾンの書評でも評判よかったので
購入してみましたが
私にはストライクな本となりました。

「はじめに」に書かれている

『治療していくよくなっていく過程で、私がいつも直面したのは
「何のために人は生きるのか」と言う彼らの問いである』

と言う言葉から

「おわりに」にある


『病気が良くなって治るってことは、ただの普通の人になってしまうこと』

『大人になる、ということは・・・自分がある程度「平凡」で、「普通」であっても、
価値があると思えること』

『客観的に普通でもいられること、特別でなくても自分に価値あると
思えること、それが受け入れられるためには、
自分ではない他者との安定した関係を必要とする』

・・・・なんて、心にビンビン来る言葉ばかりでした。

さらに
過食症の治療の章では

過食の価値とは「負ける」ことにある

と言う表現に心を打たれました。


『過食とは・・・患者さんの身体から圧倒的なエネルギーで突き上げてくる
「失敗」「弱さ」「負け」の価値の爆発なのである。

「負ける」ことに何の価値があるのか?
それは人間の本質により近づこうとする動きだ
いつも勝ち続ける、常に成功する、と言うことは人間にとってはとてつもなく
不自然で、心理的には大きな圧迫なのである。

患者さんの多くは「過食」以外の場面では、ほとんど「失敗」していない、
あるいは「失敗を許していない」ということがある。
勝ちもあれば負けもある、成功もあれば失敗もあるということを受け入れられない。』


確かに、
私の摂食障害もそれまでの完ぺき主義の自分自身との
戦いの日々であったのっだと、この文書を読んで気がつきました。
自分自身の負けを受け入れること、さらには
たとえそのことで負けても、自分の存在そのものは
決して意味のないものではないと気がつくこと・・・

そのことに気がつけたとき、回復していったのかな???
と思いました。


読書会当日は
さらに読み込んで
みなさんと意見交換したいと思います。


ぜひご都合のつく方は
参加してみてください。

ご連絡はこちらまで↓

ローカーボ勉強会大作戦主催
『摂食障害を脱する方法論を探る』




お待ちしています!