あなたの小さい頃、家庭にDV(ドメスティック・バイオレンス)はありましたか。
あなたは、それをみて、DVというものだと気づいたのは、いつの頃でしたか。
身体的な暴力だけでなく、例えば、罵ったり、無視をする、行動を監視する、生活費を渡さない、説教をして寝かせない、発言権を与えない、大事な物を壊す、子どもを殺すといった脅しや、別れるなら死ぬといった自殺のほのめかしなども、DVに含まれます。
DVの加害者と被害者の心理状態の特徴は、あまり知られていないかもしれません。
暴力をふるう側が<加害者>、ふるわれる側が<被害者>です。
しかし、心理的には、<加害者>のほうが<強い被害感>を抱き、逆に、被害を受けている側は、「私が悪い」「私が相手を理解できず、怒らせてしまっている」と、<加害的な気持ち>を抱きやすいと考えられています。
このため、加害者側は、加害している意識の低い場合がとても多いのです。自分を被害者と思っているのですから。
「謝れ! 謝れ! なぜ、わからないんだ!」と、叫びながら、妻を殴り続ける夫は、その例にあげられるでしょう。
ハードな話題です…。しかし、この、あべこべな心理状態に、驚きませんか。
さて、この両親の状態を目の当たりにした子どもは、どのように感じているでしょう。近年、児童虐待について、<子どもの前で家族に暴力をふるう>ことは、<心理的虐待>に分類されるようになりました。
子どもの年齢や、個々の親との関係性も違いますので、すべてのケースにあてはまるとは言えませんが、両親をなんとか仲良くさせたい、せめて、暴力を振るわないで欲しい。
そう願い、夫婦の仲を取り持とうと、気を配る。どちらかの機嫌が悪くならないよう、息を浅くして、見守る。暴力をふるわれる側をなんとか守りたいと思う。
そのようにして、子どもの性格によっては、自分の気持ちを受け取ってもらうよりも、親の気持ちを受け取るほうが多く、環境側の立場となってきた方もおられるのではないでしょうか。
そのようなふるまいは、その子どもにとってできる、精いっぱいの策だったと思います。そうやって、自分の心を守ってきたと思います。
それでも、やはり両親は、サイクルのように、いずれ諍いを始めてしまう。DVをふるう側も、ふるわれる側も、必死です。家庭に、心を育むゆとりが、ないのです。
このとき、誰が、この子どもの心を、いたわり、悲しみに寄り添うことができるでしょう。子が抱える、<無力感>に、誰が気づいてあげることができるでしょう。
両親の不仲を、心のどこかで、「自分のせい」「自分が悪いから」と感じる子ども。また、暴力をふるわれる側、例えば、母親が抱く「自分が悪い」と思う<自責感>や、暴力から逃げられないと思う<無力感>など、と同一化する場合もあるでしょう。
ブログ「いつも自分が悪いと思ってしまう〜深い無力感」② につづきます。
※参考資料『関係性における暴力』藤岡淳子編著(岩崎学術出版社)