お別れから10日過ぎ、

数ミリづつ前へ進んでいると思ってます。

忘れないでおきたい事綴っておこうと思ってます。




病院から自宅へ

寝台車に主人と私。

乗って行った車には

娘と義兄。



病院での葬儀社決め

家に帰ってからは

式場の責任者が来て打ち合わせ。

お寺さんの段取り

死ぬなんて思ってなかったし何も決めて無かったし、ずっとそばに居て決め事などテキパキと勧めていってくれた義兄に感謝します。


朝8時半、主人の友人1に電話しました。

悔しいの〜とワンワン男泣き。


会社には家族葬を予定しているので事後報告をお願いした。人事の方から自主的に手を合わせて行かせて貰うのは可能ですか?と聞かれたので、はい。とお答えしました。義理だけの参列はいらないので。


自ら受付をさせて欲しいと私に電話をくれた方も居た。葬儀社から受付を立って貰ってる方がよい。と言われていたからありがたかった。

会社の仲良しも数人早めに来てくれてて、

その中の人事部の方に30基ほどの供花や弔電の順番も決めて頂いた。


気楽に扶養されて来た私

大きな事を自分でこなした事のない私は

お通夜の日

供花が並び、式場を見渡し


お父さん!これでよかったか?


と何度も何度も問いかけました。

返事はなかったけど、

すまんなぁ。

と言われてる様に思いました。 すまんなぁ。は主人の口癖です。


こんな大役私にさせて!

なんても思いました。









家大好きな主人を元気に家に連れて帰ってあげられなかった。



10日夜中2時半頃

自宅に帰ってから一旦みんな帰った後、

主人の横にカーペットひいて家族3人で過ごしました。ボサボサ頭を前面だけ散髪しました。いつもの様に喋りかけながら、眉毛も整えて。

こんな形でも家に連れて帰ってあげれた事、返事はしないけど家族3人で過ごせた事、平凡な日常が幸せだった事。いっぱいいっぱい泣きました。このままでいいから時が止まって欲しい。焼いて欲しくない。


10日昼夜

仮通夜も近しい親族友人が次々来てくれました。

男泣きしまくってくれました。

病院から引き上げたティッシュが大活躍です。

来客は夜中の一時半まで続きました。

その間もずっと義兄は主人の側に居てくれました。

このまま置いといてほしい。

みんなが帰ってからは最後の家族団欒。3人で一緒に横になって過ごしました。


11日

朝から義兄が来てくれました。

義兄は世話の焼ける弟の側にずっと居てくれました。私達の負担にならない様に義兄宅から自転車で10分距離をなん往復もして。


3時頃納棺

4時頃湯灌

湯かんも手伝わせて欲しいとお願いし、私と娘で身体を洗いました。

私達は故人ではなく人間として扱ってました。

誰が人が風呂入ってるとこ見たいんや?とも思いました。普通は見学するだけなんですってね。

病院でも綺麗な身体だったけど

シャンプーや顔剃り、担当の方々見事なもんでした。

もうこれで、主人のお世話をするのはお終い。

身体を触るのもお終い。


湯灌はお願いした訳ではなくて

セットになってたみたいです。


棺に納められた主人は

もうあの世に旅立つ用意が出来た顔になってました。さっきまで家に居た時とは別人でした。




お通夜は予想超える

200人超の方々が参列してくれました。

私から見て久しぶりにお顔が見れた方々も沢山おられ、方々が主人のお顔を見て帰ってくれました。

男泣きされてる方も沢山おられ、驚きました。

主人の人徳、ありがたいです。







 






後に、あれ家族葬やった??

事後報告なはずやけど?笑

となりました。





12月7日の入院から3ヶ月

2回の転院時の1時間ほどしか会えなかった。


延命措置をしない。とサインした書類処理をしている主治医に私は、会えないんですか?

と問いかけました。

看護師に相談して来ます。


一名づつの面会になります。

許可を貰い

最初は妻である私から。

緊迫した空気の中

主人の居る詰所横の目が届く個室に案内されました。

お父さん〜

明るく接したつもりです。


どした?こんな時間に?


アンタが息しにくくなってる。て電話あったから飛んできたんやん!


WBC見よ思ったらしんどなってな

もうええかなて思ったわ


もうええかな?て思うくらいしんどなったんやな!

しんどかったんやなぁ

ここで泣いてもいいような気がして私は泣けてきました。


泣かんでええがな。痰出すだけやろ。

大丈夫や!死なへんわ!


そう言った主人の目にも涙が溢れてました。

普段涙なんて見せない主人の


主人の涙を拭きながら


そらアンタも泣くわなぁ〜

2人で泣きました。


言葉もなく、ただ主人の手をおでこを撫ぜていました。


また明日来るからな。しっかりな。



ここまでは覚えています。


励ましたところで…本人がしんどいだけ。そんな思いもありましたが主人は頑張ってくれる。希望は捨てませんでした。



続いて娘と義兄が


WBCどうやった?

兄ちゃん頼むわな。


娘とは、オカンに変な色のズボンを買ってくんなて言っといて。なんて、たわいもない話をしたようです。


義兄が控室へ帰ってきて



私はこそっと家族3人の写真を撮りに行きました。

酸素マスクをしててもピースする主人。


その時、酸素がMAX15ℓな事を忘れて

いつもの様に3人で写真を撮りました。



また明日来るからな!バイバイ〜

うんうん頷く主人、手を振る主人。



帰りしな、娘が反対向きにしてもろてたなぁ。と。





まさかこれが最後にらなるなんて。





車で病院のゲートを出て曲がった瞬間に

病院から電話が入りました。


病院に帰って来れますか?!

はい!すぐ戻ります!



3人走って病室に、向かうと

看護師さん2人が主人に何かしてました。

顔色は悪くなってました。

心拍数のモニターは低い数字



ホンマか!ホンマか!頭元で主人の顔を触る私

お父さん〜!お父さん!揺さぶる娘

○○!!何してんねん!!大声をかける義兄








戻って来なかった。









夕方電話くれた病棟医師が死亡確認。

先生も辛そうでした。泣いてくれてました。


看護師さんに、娘と私で身体を拭かせて貰い保湿クリームを塗らせて貰い。痩せ細った主人の全身が綺麗なのを娘と2人で確認しました。オシメのお手伝いも出来ました。娘もいつものようにお父さんに接してました。












病棟医師は研修医

このまま膠原病内科の先生になるそうです。

主人の病例を活かせ1人でも膠原病で苦しむ方を救ってほしいです。




もう10日も経つのに、今頃淋しさが込み上げてきます。健忘録です。

いつか忘れてしまうんだろな。



令和5年3月9日午後11時35分永眠。59歳。

突然やってきた別れでした。



9日朝から、改めて首にピックカテーテルを通して今日から栄養を補給している。軽く2食分くらいのカロリー。明日エンドキサンを予定してます。

だけど今後の話をしたいので、来週にでも病院に来れますか?

16時半頃、病棟医師から電話がありました。

来週15日水曜日15時を約束した。




19時半頃、携帯に電話が

病院看護師から。


呼吸状態が悪いです。今から病院にこれますか?

と電話がありました。

わかりました。1時間くらいかかります。

意識はあるようです。


ええ!!どうしょ。


丁度この日は初めて娘の彼氏と友達が家に来て食事をしてました。慌てて追い出すように帰って貰って。皆医療関係なので理解はしてくれたと思います。





私と娘と主人の兄と。

娘の運転で。


同様を隠しきれなくて、受付で

あれだけ書いてきた、主人の名前の漢字が書けませんでした。娘が代筆。







主治医からの話

夕方電話くれた病棟医師の曇った顔。


痰を自分で出さないリスク

人工呼吸器をやったところでのリスク

もうエンドキサンをしないリスク

家に連れて帰るリスク

血小板血症のリスク

動かせない状態、

人口呼吸器、気管切開…






本当はわかってますよ。娘と話合ってましたから。

生きて欲しいけど、内臓系がガタガタなの。

本人辛いだけな事も。

だけど連れて帰りたい。

感染症が落ち着いたら、連れて帰りたい。ずっと思ってきた事。

こんな事で諦めたくなかった。何とかして連れて帰りたかった。

粘ってみたけど、


主治医は自宅で看るのも良い事ですが24時間介護になるし、急を要する容態だし。自宅の環境を整えるのに日にちがかかるし。どうなるかわからないのが膠原病の怖いところです。


そうですね。素人には急な対応できないですもんね。

ならば

今は病院に置いとく方が良い。と



そんな押し問答があり


娘が言い出しました。

この話は人口呼吸器つけるかつけないか。と言ってるんですよね?!


で、ハッとなり

延命措置はしない用紙にサインしました。






後で娘が言うには、主治医が優しいから

ハッキリと人口呼吸器つけますか?どうしますか?と聞かれへんかっただけや。1時間も喋ってたんやで。


病院側は基本、人口呼吸器や心臓マッサージを続ける。って義務?があるらしいですね。




続きは

また落ち着いてから。