★ 大事 ★
日本語教育家
1897年からは台湾、1911年(明治44)からは朝鮮、
1925年(大正14)からは旅順、奉天、
1938年(昭和13)からは北京(ペキン)(新民学院教授)、
1944年からは大連と、日本語教育に携わる
第二次世界大戦後は、話しことばの教育の開拓に力を注いだ。
著書に『日本語教授法原論』(1943)、
『話言葉とその教育』(1951)などがある。
教師が動作を実演して理解させ
学習者はその動作をしながら目標言語の音声を学ぶ
外国語の習得においては幼児が母語を習得するのと同じように
自然な過程に従い、口と耳による音声言語の側面を重視し、
母語への翻訳を行わない
時間的に継起する一連の動作を分解して
動詞の取り替えを中心とする句や文を記憶させる
直接法
↓ 取り入れる
山口式直接法=年少者向け教授法
1899 開発
グアン式教授法から日本語教授法を編み出す
日本語のみを使用する直接法で指導し,その理論を確立した
伊沢修二
大出正篤
嘉納治五郎