伊沢 修二  (1851-1917)

明治時代の日本の教育者

 

明治~大正

近代音楽教育

吃音矯正の第一人者

 

1894年  日清戦争 日本が台湾を領有

1895年  下関条約  芝山厳に小学校

1896年  芝山厳事件

      国語伝習所規則

      14か所に国土伝習所

1898年  公学校 (日本国民として養成)

               

日清戦争後、

台湾の日本語教育に尽力

 

キーワード

台湾総督府

同化主義

芝山厳事件

下関条約

吃音矯正

 

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オマケ

台湾の年配の方が日本語が話せるのは

この時代に台湾で日本語教育がなされたからですね。

1898年には日本政府は、台湾の方達を

日本国民として養成しようと番人公学校を設立

1922年には新台湾教育令として日本人と共学

 

日本政府は台湾の方達を

植民地の自分たちより低い地位の人ではなく

日本人として教育しようとしたようです。

それが良い事だったのか、悪い事だったのか分かりませんが、

台湾の方達はとても親日家だと聞きます。

日本政府が台湾の方達にも日本人と同じ教育をしようとしたことが

少なからず影響しているのかなと思いました。