おこたん日記 -2ページ目

おこたん日記

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しゅうまつ母とちび通信①


の続きです
まだまだくどくど続きますよ奥さん( ̄ー ̄)

母が退院までに安心出来る様にと走っていた私は 今度は母をしっかり送り出す事にシフトチェンジさせられ 時間が無いと焦り
あれも出来てない これも出来なかった 皆んなは出来てるのに…と葬儀が終わった時には頭がパーン🤯

心配してた家族あれこれ動いてくれて助かる♡と思ってたけど心配してたり見張られていた事に後に気づき(汗)に無理矢理寝かされ 諭されやっと一山越えました

そして 一山超えると 今度は自分も死ぬんかな?と思うくらい「皆様ありがとうキラキラ私幸せですキラキラ今なら恥ずかしげもなく感謝の気持ちを伝えたいキラキラ」てな 心整い清々しい気持ちになるのです
…が
修行が足りなく3ヶ月くらいしか保たないので書いておきますw

この気持ち 30才の時の自分の入院時 おこたんが逝ってしまったあの時とか…あと数回あったかな?

忘れずにいたい

昨日 この2ヶ月間 見て見ぬふりをしていたぽぽたんのおけちゅ(セルフグルーミング下手)だけシャンプーしましたw


かあたん おけちゅを攻めすぎてぽぽたんが出してしまった💩を右手で受け止めました(汗)
久しぶりにお風呂場に響きわたる大きな声で笑いましたw
ぽぽたん ごめんね ありがとうね♡

これからは母は逃げて行かないので 時間をかけて母を擦(なぞ)りながら
おいて逝かれてしまった 父の 

母とふたりで80歳過ぎまで働いて働いて来た父の 

↑テーマ:ちびごんを見返しては追記💧2024/02/25
母の元へ旅立つまでのお手伝いをしていけたらと思ってます 
本当は 母にももっとそうしたかった。゚(゚´Д`゚)゚。


でももしかしたら
退院からのあの2日間
幸せだよキラキラ楽しいよキラキラ 安心だよキラキラ の姿を皆んなに見せる為に帰って来てくれたのかもしれない

皆んなに時間を与える為に最後の手術を受け4日間頑張ってくれたのかもしれない


不思議な事も沢山起きた
あれが母の中治り ラストラリーだったのならば

 キラキラ流石お母さん(*´艸`*)キラキラ

と誇らしく思う

追記:優しさ指導 

↑これ大好き♡


ふぅ…

かあたんの久しぶりのくどくど更新 (猫ブログなのでちょいちょいぽぽちびエピソードも入れてみました)長々とお付き合い下さった皆様ありがとうございます_(._.)_


やっぱり ブログはやめません

↑💧
時たま くどくど書きたいなとw

猫ブログのジャンルからは外されちゃうかも

 また いつか(・・)/~ってくらいかも

知れませんが更新させて下さい(o・ω・o)


かあたんのこの頃の脳内リピートソングは「無縁坂」©グレープ(さだまさし)ですw

姉兄との歳が離れてるので昭和のフォークソング世代っとφ(..)


いつもながら 纏まりなくスミマセン💧
また いつか〜(・・)/~




最後まで読んで頂いてありがとうございます(o^-^o)
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只今 個別のお返事が出来ていませんが 皆様からのコメント毎回嬉しく 家族一同楽しみに読ませて頂いております(*^.^*)

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お久しぶり過ぎる おこたん日記の更新に
気がついて頂けています皆様 こんばんは||-゜)コソ‐
何故に今頃更新かと云うと
えっと…
先日 実家の母が逝去いたしました
6年?前に泣きながらちびを託したあの母です 


を辿ると出てきます✔

ちょうど おこたん日記を 完全にサボり始めた頃に一度ヘルニアの手術を受け高齢にも関わらず乗り越え 2日で退院して来てくれたのですが
昨年の夏頃から心臓も肺も悪くして通院が続いていました
実家へ通う事が多くなり少しだけ仲良くなれたおちび貼っておきますw
それでも 酸素ボンベを引っ張りながらシャカシャカ歩きw看護師さんに「身体が動きに付いていかないからゆっくり歩いてね」なんて云われるくらい元気でした

料理も家事もこなしていたんですよキラキラ



そして 昨年末どうにもしんどいと家にいると家事や父 兄 弟の事が気になっちゃうので先生とも話し 休憩のつもり 1週間の予定で入院したのです
…がその晩に急変し病状も悪化 不穏状態に陥ってしまいましたガックリ
きっと不安で 別世界にいる様な気持ちでいる母になんとかこっちに戻って来て欲しくて 何度もかけた電話にも出てくれず…

感染予防の為に面会も出来なくて 着替の下着や孫やひ孫達の写真を持って行っては看護師さんに様子を聞き
退院時には着てない下着が下着屋さんになれるくらいにどっさり(;´∀`)
そしてしつこい程にお願いし みんな待ってる 家に帰っても心配無いように準備しておくからと伝えてもらいました

電話の操作も手伝ってもらい 母から電話がかかって来るようになり 小さくか弱い声で不穏状態だった母でしたが  日に日に声のトーンがあがり こちらからの電話にも出てくれる様になりました

ごはんも少しずつ食べられる様になりリハビリも真面目に取組んでます!とお褒め頂いたりw

リハビリを頑張っている動画を観せてもらいましたが 腕を振って真っすぐ前を向き 細く小さくなってしまったものの兄が「少女の様だ!」なんて云うものだから ホントに小学校3年生学級委員長やってます(๑•̀ㅁ•́๑)合格

みたいに見えたりして…


本当に みるみる元気になって 先生にもお墨付き頂いて

引っ張っていた酸素ボンベは歩行器に積む形になってはいましたが心身共に健康にみえる姿で帰って来ました合格

なんなら 以前の母の良いところだけみたいになってw
母は私と同じくwリビング寝なので 
リビングにドーンと置かれた介護ベッドにはしゃぎ♡ナワバリの様に色んな物を持ち込み 退院のお迎えに 一緒に行った長女と4時間もお喋りして 疲れないかと心配になるほど とてもとても幸せそうでした
明日はゆっくり休ませようと心に誓い「明後日来るね 本当に元気になって良かったよ♡」と帰宅

でも悔しいかな
1日半後 早朝に体調が悪くなりまた病院に逆戻り 結果 腸閉塞の診断
どんどん進行する症状と無くなっていく体力…
私達はどうして良いか判らず…
母本人の決断で「する!待ってて」とのしっかりした意志で 大きな手術を受けました

手術後も最期まで意識ははっきりしていて痛み止めを入れてくれた看護師さんにも口で「ありがとう」と伝えていたと聞きました 
父も兄弟みんな「頑張ってくれて ありがとう」と伝える事も出来ました

その日の夜のちびは 母が1日半使った介護ベッドをそろ〜りそろ〜り円を描く様に歩き 真ん中を避けそっと寝ていたそうです(いつもは父か弟のところで寝ている)

部屋の空を見上げて 鳴いたり…
ちびには母が視えていたのかな?羨ましいなぁ天使


しゅうまつ母とちび通信②へ続きます↓https://ameblo.jp/ocooco328/entry-12841879234.html 



タッチ!タッチ!タッ~チ!でちゅ

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