信仰 |  何んでもは出来なくとも     何かは出来る

 何んでもは出来なくとも     何かは出来る

「明日すればいいさ」…

そんな言葉は聞き飽きた…

今だ…今日だ…

「その瞬間だけ」を死ぬ気で生きろ…吠えろ…

俺はぁーー!

生きてるぞぉぉーー!!

『人生はつくるものだ。必然の姿などというものはない』
坂口安吾


こんにちは
なんとか生きてます。
赤兎馬です。


昨日の体調不良からなんとか復活致しました!


仕事から途中で抜けて点滴を受けまして2時間狭いベット?長椅子?で寝ておりました。

逆に節々が痛くなったような(汗


熱は38度あったんですが、別に咳や鼻水といった症状は見られずお薬も整腸剤と吐き気止めをもらったくらいでした。


流石に帰宅後、速攻で寝ましたね。


看護婦さん(自分と変わらん位の人)のため口が妙に気になった事は内緒です。



『社会による救済への信仰が終わった後となっては一人ひとりの人間の責任が主役となってもおかしくない』とドラッカーは言っています。


救済、復活、成長、善、徳が、社会的な目標や政治的な処方としてではなく、人間の実在にかかわるものとして求められるようになる。少なくとも社会による救済の信仰が終わった後となっては、内面への回帰が始まる。個としての人間が中心となると言っています。


会社に勤めている以上は進退を決める部署や機関もしくは社長に対して面倒をみてもらっていると思っていますが、そうではなく自分自身が自分の面倒を見ていることに気づく必要があるのかもしれません。


自己の分析によって自らの強みを見つけ自らの期待に応えて、自らをマネジメントする事に意識を持ち続けなければならないと思います。


という事は、自己の武器をみつけることを最優先としてその武器によって貢献できる事柄について常に思考しなければならないということなのでしょう。


病み上がりですが、頑張ります。


今日の
ファイトー!!一発


ご覧下さいました皆様のご多幸を心よりお祈り致しております


ご覧下さいまして誠にありがとうございました