これもまたイロイロ

子どもが好きな人もいれば、子どもが嫌いな人もいる。

 

生まれ落ちたときには、好きも嫌いもなかっただろうけど

育っていく環境の中で

子ども いらない。子ども 欲しい。

子ども 嫌い 子ども 好き 子ども 好きでも嫌いでもない

 

という道が出来てくるのだろう。

 

両親の在り方でも変わるし 兄弟の在り方でも変わるし

一人っ子で育つのも関係あるし

ほんとに、いろんな状況で 子どもに対する想いは

変わっていくのだろうな。

 

俺の場合

自身の分身は望めない。

 

子どもを持とうと思えば血のつながりはないけれど

持つことはできる。

 

しかし、子を持つことができるけれど

年齢的に、若さというパワーが足りない(笑)

それと、責任を負うにはちょっとジジイだ。

いや、だいぶジジイだ。

 

血の繋がりのある 自分の分身は 持ってみたかったな。

どんな遺伝を受け継いで どんな子だったのだろうと思うと

楽しみでもあるけど怖くもある。

自分だけの分身じゃないからねぇ。相手もいることだし。

 

血の繋がりのない子どもを持つとしたら

遺伝的なものはないけれど、毎日の環境の中で

「育てる」ということをしてみたい。

きっと、親子というよりも 「家族という同士」という感覚であり

人生の先輩として教えてあげたいことがいっぱいある。

 

血がつながっていてもいなくても

育てることに責任がある・・・・なんて重く考えるのは

俺が58歳だからだな。

きっと20代で子どもを持ったら、毎日が必死で過ぎていくのだろう。

 

今の俺の感覚は、かなり もう 心配性なお爺ちゃんレベル。

車に乗ってて、ランドセル背負った子どもが一人で

歩いて帰宅してるのをみると、おいおい 一人で大丈夫かよ~とか

連れ去られたり、いたずらなんかされねーようにな。

とか、余計なことばかり考えてしまう(笑)

 

それって もうお爺ちゃんレベルだよって嫁にも言われる(笑)(笑)

 

ほんと そう。

 

だから、子どものいる人生って どうだろうなって考えるなら

今じゃないな。

 

だって、今の世の中で 育てたくないし

自由そうで自由じゃないし

コミュ障とか言うし、人と関われないし 希薄だし

 

ま、たらればを言うなら

携帯のはびこらない時代に子どもを持っていたら・・・の話だな。

 

っていうか

もう 小学生でも、中学生でも、高校生でも

わからないことだらけだから

 

やっぱり

 

このまま お爺ちゃんレベルでいいや