マーブル色の日々-ポケット


こう、目覚める前とか、目を瞑っているふとした瞬間に現れるイメージを焼き付けるマシーンがあったらいいのにな、そうだったらいいのになー♪

とか思いますが、それは私が生きている間に開発はされないだろうから、アウトプット用として手があったり(それ以外でもアウトプット出来るものならなんでもいいのだ)、色んな絵具、技法、その他諸々があり、それを鍛錬して頭のイメージにどんどん近づけていくこと、それを飽きずにやること、で人の到達点に迫れるのではないかと。


とにかく、絶対的には数をこなさなければ無理なんだけど、「時間が…」とか言っている間に、この死ぬまでの「暇つぶし」の時間は過ぎてしまうので、こなしたい。そして、頭と目の前のキャンバスだったり、何かを同じくリンクさせていけるようになりたい。




というのが、結局の私の答えでしょうな。ふん!



※写真は画像処理ではなく偶然に撮れたものです。

マーブル色の日々-実の大きな木



太くても、細くても、


幹からは


四方八方へ伸びる枝が育ち、


芽吹いて花を咲かせては、


また、冬仕度をするように。

マーブル色の日々-腐った南瓜

気を悪くしないで欲しいけれど、ここ数日で痛感したことは


「子供にとって両親の愛情に勝るものは無い」


ということ。




色々な事情を抱える子供たちは、大概が無口であったり、イジワルさんだったり、協調性が無いという傾向が目につく。そしてそれが、実に過度だと感じられる。

それは、見ている大人の目が、家庭の事情というフィルターを通しているから尚更そう感じるのかというと、違う。


パターン、ケースという中に押し込めるのは私自身が最も厭だと思っているけれど。

そして、その事情は彼ら・彼女らが成長した時に一概にどうだと言えもしない。

保育士にとって、困ったと感じるだけの事かも知れない。



でも思う。


不安気な目。皮肉ったような笑い方。


そうだよね、そんな顔、したい訳じゃなかったんだよね。と。



偶然だか、必然だか知らないけれど、“現在”というものは如何せん誰にもどうにも出来ないことだと思っている。

私がすべきことは、だからそんな無力な場所で、しかしいかに対面するかということか。



今日がもうすぐ終わる。

そんな時間に聞いている。まだ、少し早いか。


笹川美和―“夜明け ”