今日は母の日だ。


娘は息子とサプライズで

手紙やお手伝いチケットなど

沢山のプレゼントを渡し妻は感動。


母の日と言えば先日亡くなった母の

四十九日法要納骨式を無事終えた。


亡くなった数時間後には

お葬式の段取りや

それまでの遺体の保管など

悲しい気持ちを誤魔化してくれるかの様に

次から次へと姉と進行。


父の時に体験はしているが

その時喪主は母だったので

今回初めての喪主であり

初体験は多かった。


お葬式や四十九日法要納骨式と

無事母を旅立たせたのだが

遺影と位牌は我が家にあり

寂しさは募る。


何が寂しいかと言うと

もう話せないと言う事が一番大きい。


亡くなって数時間で

様々な事を決め

数日後には葬儀を完了し

喪主の挨拶もして

火葬し四十九日法要納骨式。


これら誰が一番褒めてくれるって

母しかいない。


しかし

その母がいない。


馬鹿みたいな話だが

いつだって母に褒めて欲しいのが

息子だったりする。


そんなに褒めてくれない母だったが

今回ばかりは褒めてくれるはずだ。


最後亡くなった24時間完全看護

さらに食事や環境も抜群で

しかも我が家から歩いて行ける

大使館に囲まれた施設を選択し

亡くなる間際まで食欲も笑顔も

絶やさなかった母。


年明けコロナ禍の入院話は

またにするとして


余命3ヶ月から半年と言われていたのに

ある日ポンッといなくなった母。


お葬式どうだった?

昔から望んでいた通りにやったよ!

全て事実だけを喪主の挨拶で話したよ!


良かったよ。


その一言も聞く事ができないのが

母がいなくなって一番辛い事です。


一番褒めて貰えるべき人がいない

話せないと言うのはキツイですね。


散々お互い悪態もついて

ケンカもして

でも最後の最後では

笑い合って。


とにかくもうそれができないのが

正直寂しいです。


ついこの店なら一緒に行けるかも

と思って、あ、いないんだと思ったり。


しかし

最後の部屋から

僕へのお礼の手紙が出て来ました。


直接言えよ。

とも思いましたが

全て救われた気がします。


亡くなって

母の遺影がある生活。


こんなに母親の写真を

毎日見る生活など

これまでの人生考えられません。


自分の推しか

と言うぐらいの

遺影のポジションです。


そんな話もしたいのですが

返事がないのが正直一番寂しいですね。


亡くなる数日前

元気で家族で一緒の時間を過ごし

息子を独自のギャグで笑わし

娘や妻にも優しく沢山話し

これがあと3ヶ月から半年

今年の夏は楽しいなと

思っていたのに。


でも89歳という大往生。

実は父も89歳で他界しました。


結局仲良いね。


お墓のお骨も仲良く並べて

納骨しました。


母の日。


自分は大した事できなかったけど


今日娘が妻に毎日のご飯や笑いや

全ての感謝を学校で書いた手紙などなど

読んで渡しました。


こうして脈々と

母の日は繋がっていくんですね。


そんな話もしたかったよ。


聞いてんのかな。


聞いてたらいいな。


おちまさと