ものにはそれぞれ
そもそも生まれた理由がある。

ブログはそもそもアメリカ
911の同時多発テロの時に
安否確認で使われ広まった
と言われている。

そもそもの生まれた理由に
宿命や使命は起因するので
ブログは昨日の様な緊急情報を
伝える時にそもそもの力を発揮する
気がする。

だから本来何もない日常こそ
イレギュラーな時間であり
ある種お茶を濁してるに過ぎず

本来昨日からの様な緊急事態で
最新速報を拡散する為のメディア
なのではないだろうか。

話はそれるが逆に
インスタやFacebookやWEARなどは
成り立ちのそもそも論が違うので
緊急情報を拡散するよりも
個人情報の拡散がプライオリティかも
知れない。

Twitterもそもそも論の
成り立ちはブログに近いか。

テレビはブログに近い気がする。
テレビはそもそも
「遠くの世界で起きている事を
お茶の間で観る為に」
というのが起因であり

他のコンテンツやエンターテイメントは
後付けでそこに広告収入でビジネス化したに
他ならない。

だからテレビは未だに
国代表の世界大会や
国内外関係なく災害や事件や事故など
遠くで起きたニュースの時に活躍する。

生まれ持った宿命使命を
やはり全うした時にその力が爆発する。

それがどうして生まれたか。
そもそも論を常に考えなければ
ならない様な気がする。

おちまさと

しかし今回の熊本大地震の脅威は
震度5から6強の巨大地震が
断続的に繰り返し来る事だ。

ただただそのままの情報を拡散し
お気を付け下さいとしか今は言えない。

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しかし一方であまりに無意味な
不謹慎という呪縛は要注意という事は
5年前の東日本大震災での経験値である。

1日も早く全てが
復興される事を願います。