2015年12月23日
50歳になった。

宇宙の歴史から見れば
ちっぽけだが半世紀であり
安土桃山時代なら死んでいる。笑

子供の頃まさか50歳を
娘と2人暮らしで迎えるとは
想像していなかった。

そして
まさかのネット社会であり
まさかのスマホ生活である。

あっという間の
一方で流石に50年。

あの市民プールで
プールサイドに落ちている
焼きそばを踏んでしまい
足の裏が気持ち悪いと思った
8歳の夏も本当に自分の出来事なんだろうか
と疑ってしまったりもする。

しかし全て自分の出来事なのだ。

今年は人生色々な事があったが

実は今年
父が他界した。
享年89歳の大往生だった。

家族親族の身内だけの
密葬で見送らせていただいた。

父親とは自分が幼少の頃から
様々な出来事があり
ブログやましてや
140文字のtwitterなどでは
語る事はできない。

子供の頃から
全てはある日
書物(どんな形になるかはわからんが)
にしてまとめようと決め
全ての出来事を記憶しようと
心掛けたので全て記憶している。

それは亡くなる数日前から
四十九日など全ての空気や
全ての一挙手一投足まで。

しかし
父が他界した事で益々
年齢に対する概念が
達観する様になると共に
リアリティを増した。

父親はいつも一歩手前で
何かが終わる人生だった。

まさに大正15年生まれで
本人に聞いた話だが
20歳の時
いざ出兵と言う時に終戦。

90歳の世界を見る前に
50歳の息子と話す前に
亡くなった。

そしてこうして
50歳の誕生日のブログに
自分の死を書かせてしまう。
そういう所がある父親だった。

日本人の平均寿命が50歳を越えたのは
1947年らしい。
戦後という事だろうが
江戸時代初期は
平均寿命30歳くらいだったらしい。

だからこそ50歳の誕生日など
宇宙規模で見れば小さい話だが
それこそ人類の歴史規模で見れば
めでたい事だと思うのだが
喪中につき
50歳の誕生日も
あと数日後のお正月もしめやかに。

結果父親らしい演出である。

そんなこんなは
子供の頃に決めた
ある日の書物に記すとして

齢50歳である。

時代は違う。

また父親は89歳
また祖父は90歳
で亡くなれば
人生などわからんが
自然とどこか頭の片隅で

人生90年

とすり込まれて行くのが日常。

しかし90年としても
折り返しており
折り返しとしても
毎日5km走れる日も
娘と5時間フルスロットルで
プールで遊び続けるのも
折り返し所ではないのも
なんとなく想像できる。

だが一方で
こんな風にiPhone6sで
ブログなどにつらつらと
左手の親指で
50歳の気持ちを書いていたり
年齢など今後どうなるかも
わからない。

例えば
医療や様々な
健康分野のテクノロジーが発達し
死と言う概念が
基本なくなったら
人間はどう生きるのか
などとも考えてしまう。

さて
50歳。

益々何の気負いも嘘もない。

表もなけりゃ裏もない。

リアルとSNSを違う人格にしたくない。

答えは年々シンプルになって行く。

ただただ今は日々
娘を全力で守り抜く。

それが今日50歳を迎えた
紛れもない自分だ。

という今を
記しておくのがブログ。

40代までは毎年誕生日は

新しい○歳になる

とブログに書いて来た。

過去は否定はしないが
己れ若いね。笑

世間体とか見栄や
余計なプライドは
さらに削ぎ落とされるのが
50歳という漠然とした
折り返しかも知れない。

そんな事考えたり対応してる
無駄な時間1秒もないしね。

おちまさと

とはいえ1%だけ

新しい50歳になる

というタイトルのブログにするか
迷った自分もいる。

それも正直な話。

気楽に行きまーす。

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