最近日本国内の
様々な場所へ行く度に思うのが

例えば
地方の町自体から
その町の小さなお店や
その地域の団体までの

ロゴや建物自体が

良く言えば昔よりも格段に
おしゃれになっている事に気づく。

以前までは
都市部以外では
そういうロゴや建物などまで
あまりデザイン化されているという事を
感じる事が少なかったが

最近はロゴの文字の
フォント一つ取っても
軽くネガで言えば小洒落ている。

多分ネットとPCにより
デザインが簡易化され

そういうデザインを簡単に
手に入れられる様になった事が
理由ではないだろうか。

だから誰でも今は
ある種リーズナブルに
センスを簡単に手に入れる事が
できる様になった。

ただ一方で気になるのが

センスの平均化

が起きている様な気がする。

全てが小洒落ていると同時に
センスの画一化が起き
どこかで見た様なロゴや建物を
目にする事が多くなったのでは
ないだろうか。

センスが平均化されれば
もはやそれはセンスではなく
普通になる訳である。

また同時に
平均化されたデザインは
なぜか温度が感じられない。

デザインは本来自ら熱情的に
作りたくて作るものであるが
その辺りの拘りの体温が低い。

例えば田舎のあるお店は
その場所と歴史ならではの
湧き上がるエネルギーや風情が
ロゴや建物に滲み出ているのも
デザインの魅力の一つでもあり

そこにならではの温度を感じる事を
含めてがブランドの様な気もするのだが

最近はそういう場所でも
都会的に小洒落たものが
増えている様に見えるのは
気のせいかなぁ。

もちろん
山奥にこんな洗練されたホテルなんて
最高だなぁという究極の振り幅のものも
実際たくさん存在する。

しかし
そこには卓越したオリジナル性と
曲げられないこだわりがある。

それとは違った
自動販売機で買った様な
なんでもいいけどおしゃれな方がいい
ぐらいな温度。

決して間違いではないのだが
逆に言えば間違えない範囲だから
平均点狙いと言うべきか。

皮肉なもので
ネットとPCでデザインの底上げが
起きたと同時に平均化され

突出したり
三振かホームランみたいなものが減り
デザインやセンス自体が
埋没しているような気がする。

簡単に言えば
みんな簡易におしゃれになれば
誰がおしゃれかわからなくなる
みたいなものか。

何かわからんが
その場所その地域の良さによる
デザインを滲み出して
画一化平均化しない方が差別化され
それぞれの個性をつぶしあわずに
いいのではないか
と勝手ながら時々思う。

おちまさと

ロゴや建物ではないが
やはりガガみたいに
飛び出た棘みたいな独自なセンスを
それぞれで表現しないと
みんな綺麗に優等生に
まとまってしまう。

多分平均化された物を作るのは
旗印に数字が
書かれてしまっているから
確実性を高める為に
独自性は抑え尖らず
綺麗にまとめる方向へ進むのだろう。

本来旗印には理念が書かれるべき
ではないだろうか。

その先にあるデザイン。

真面目だけのクラスは
一見良さげだが
実は面白くないからなぁ。