いま小泉元総理が
突如反原発で狼煙を上げているが

そのきっかけともなり

小泉元総理が原発関係者を連れて
自らフィンランドに
視察まで行くきっかけとなったと
言われている映画がある。

その映画では
放射性物質の処理には
10万年掛かり

その放射性物質地下処理施設

「オンカロ」

の世界唯一の建築現場を
ドキュメンタリーで観せる
映画だったが

小泉元総理の一連の発言は
この映画を観て

そのオンカロを
実際にフィンランドで視察し
帰国してからの
反原発宣言である。

そんな小泉元総理の反原発魂に
元々火をつけたのは
震災直後単館でしかやっていなかった

映画「10万年後の安全」

という作品だ。

僕は
あの311から
約一ヶ月後の
2011年4月19日
に単館ロードショーに
観に行った時の事を
ブログに書いている。

今から2年半前だ。

詳しくは
当日のブログの
こちら。

リンクしても
面倒臭くて飛ばない方の為に
完全コピペ。

2年半前
2011年4月19日の
原文ママ。

『100000年後の安全』を観た。
テーマ:ブログ
2011/04/19

映画『100000年後の安全』
を観て来た。

どうしても観たくて
スケジュールに入れて
朝一の回に行って来た。

簡単に言うと

フィンランドが世界で初めて
本格的に建設している
原発における放射性廃棄物の
埋蔵場所『オンカロ』に迫りつつ
その場所の危険性について
未来の人類たちに
切実に語りかける
ドキュメンタリー作品である。

以降
ネタバレあり。

ただし
ドキュメンタリーなので。

それでも
何も情報を入れずに行きたい
という方はここまで。

僕もいつもはそういうタイプだが
今日は理解を深めたいので
観る前に全てを
読んでから行った。

本題へ戻る。

自分達で使った
ウラン燃料のゴミは
自分達で片付けなければ
ならない。

宇宙にロケットで飛ばすか。

しかし
発射の時の爆発リスクが
ありすぎる。

海への投棄か。

だが
生態系への悪影響が
考えられる。

そこで
フィンランドが世界で初めて
放射性廃棄物の埋蔵場所に
選んだのが
地下。

地下深く
放射性廃棄物の
巨大な埋蔵所『オンカロ』を
建設している。

『オンカロ』とは
フィンランド語で
「隠れた場所」

現在建設中で
完成は22世紀。

それを
マイケル・マドセンという監督が
キューブリックのような
シンメトリの映像美で
淡々と描いていく。

関係ないが
『レザボア・ドッグス』とかに
出てくるマイケル・マドセンとは別人。
あの人いいよなぁ。
タランティーノ作品に
この人が出ていないと
何か物足りない。

話は戻って
『100000年後の安全』
を観て

一番の衝撃は

フィンランド人が
現在の自分達以上に
マジで10万年後の人の安全を
徹底的に考え議論している
というところだ。

ネアンデルタール人の時代から
現代まで
たかだか一万年。

放射性廃棄物が生物にとって
無害になるには気の遠くなる
年月が必要で
この映画では10万年とされており

いくら末裔まで
「この場所には放射性廃棄物が
眠っているから危険」
と言い伝えても
流石に10万年後の人類は
どんな風に進化し
どんな言語を操ってるかも
わからない。

もっと言えば
10万年など必要ない。

100年後だって
300年後だって
1000年後だって
未来の人類の進化や
戦争や天変地異など
どうなっているか
誰もわからない
のではないだろうか。

だから
彼らは
この場所に

「ここは危険な場所だ」

という文字や絵を
書き遺すべきか
遺さないべきか
が真剣に議論している。

なぜなら
放射性廃棄物を遮断する為に
地下500メートル
ピラミッドのような
迷路の様な内部設計で
その最も奥深くに
放射性廃棄物は埋蔵される。

そして
まるでドミノ倒しのストッパー
のようにもしもの場合の
遮断扉が細かくついていたり

いかにも
数万年後の人間が
発見したら

それは

埋蔵金や宝

などが眠っていそうだから
「ここは危険」
などと書かれていれば
ますますそれっぽくなり
発掘してしまうだろう
ということを
危惧しているのだ。

発掘されれば死に至る
可能性がある。

そして
宝と言えば
ある種
核兵器燃料ともなり
悪い奴らにとっては
宝かもしれない。

それに比べて
日本はどうだろう。

福島第一原発の対応を始め
震災後、相変わらず
価値観も変わらない日本は
次の世代のことさえ考えず
目先の数日のことしか
考えていないような
気がしてならない。

即刻
この映画を
テレビで流すべきではないか。

最悪
政府と東電のトップは
観た方がいい。

フィンランド人にとって
地球は自分が生きている時間
「借りている」という感覚なのだろう。

だから
自分たちが贅沢のために
使用したゴミは何とか
自分達で廃棄し
そして
絶対に未来の地球人に
迷惑をかけない事を
徹底的に考え抜きながら

それでもさらに自己矛盾に
頭を抱えている。

それに比べて日本は
「借りている」というよりは
「自分の場所」という感覚が強く
未来の人にとって
地球がどうなるかなど
考えが及んでいない気がする。

映画でも繰り返されるが

「放射能は見えないし
臭いもないから
人間の五感が役に立たない。」

五感が役に立たない
という事は
ますます
現在必要なのは
第六感であり
未来を想像する力である
のではないだろうか。

カメラは
その22世紀に完成する
『オンカロ』建設中内部へと
どんどん入って行く。

ここでハッキリしていることは

隠蔽がないということ。

全ては公開されている。

もはや
原発のことは
世界的に
正直誰も
完全なる正解は
出せないクイズ
のようになっている。

だとしたら
全てを公開することしか
始まらない
とこの作品も言っている。

突然だが
僕の世代の名作アニメ
『宇宙戦艦ヤマト』は
ガミラスという星から
攻撃を受け
放射能汚染され
地下に住むようになる。

そして
14万8千光年先から
送られて来た
「放射能除去装置」
があるという
イスカンダルへ
人類最後の望みをかけて
宇宙戦艦ヤマトは
発進する。

そこに
隠蔽はなさそうだ。

あるとしたら
逆に地球人のモチベーションを
上げるまたは保つための
いい意味の嘘
はあるかも知れないが。

今日の映画を観て
原発を続けるのであれば
完全ガラス張り状態で
その国民もリスクを背負いながら
運命共同体として
使用していくしかないような
気がした。

なぜなら

今僕らは
たまたま
間借り状態で
地上にいるだけなのだから。

未来は
未来の人達が住む。

『地球と人類は賃貸関係』

なのだ

ということに
改めて気が付かされる
映画だった。

70席しかない
パイプイス状態の映画館で
観たのだが
こういう作品を
もっとデカイ箱か
地上波とかでやる時期
なのではないかと思うのだが
変わらないなぁ。

一ケ月前の
3月20日に
『価値観の変革はできるのか。』
というブログ を
変革を期待して書いたが
変わる気配が感じられない
気がする。

このままでは
全てが報われない。

おちまさと

この作品の監督の
マイケル・マドセンは
今回初めて観たのだが
ステディカムを多用し
画が美しいドキュメンタリーを
撮る方だ。

分かりやすく言えば
「スマートな
北欧のマイケル・ムーア」か。

しかし

「マイケツ・マドセンじゃねーよ」

というギャグは
多分10万年後も
誰も口にしないと思う。


映画について
詳しくはこちら 。



2011年4月19日。

まだこの頃は
日本人が価値観を変えるチャンス
があったんだが
まさか2年半で
こんなことになろうとは。

小泉元総理が
注目したタイミングは
果たして早いのか遅かったのか。

おちまさと

この映画
地上波でゴールデンで
一度流した方がいい。
早めに。