無人攻撃機の
ニュースを観ると
いつも心がざわざわする
のはなぜだろう。

無人偵察機では
そこまで
ざわつかなかったのだが
無人攻撃機
無人爆撃機
となると
何かが違う気がしてしまう
のだが
何が違うのか
なぜざわざわするのかの
明確な答えも
言語化できないからこその
ざわつきかも知れない。

多分
じゃあ有人ならば
いいのかと言えば
そういう事ではなく
元から違う訳なのだが

もはや無人ならば
なんでもありというか

いや元々がルールなんて
あってないようなものなのだろうが

無人攻撃機は
なぜか一線を越えている
という気がしてしまう。

しかしながら
しつこいようだが
元々一線を越えているからこそ
そこに無人も有人も
どちらにせよ同じ
と言われればそれまでなのだが。

できるだけテロを拡散させずに
ピンポイントで壊滅させる
最大の手段と言う側と

無人という事と誤爆により
さらにテロを生むという側。

さらには
やはりゲーム感覚になってしまう
という攻撃側当事者の証言。

さらに
ざわつくなぁ。

時同じくして

映画「風立ちぬ」

「風立ちぬ」作品自体についての
感想とは全く関係ない事と
零戦や特攻隊を美化するつもりも
毛頭ないと念の為前置きしておくが

無人攻撃機と零戦・特攻隊を
どうしても頭の中で比べてしまう。

そんな様々な戦争などを経験し
時を経て生まれた
無人攻撃機が
過去の戦闘機を凌駕しているとも
新たな答えとも
様々な角度から見ても
どうしても思えない。

そこには
なぜ生きるのか
どう生きるかでなくどう死ぬか
だからこそ生きねば
などという想いや思考や感情なども
全く芽生えなさそうな気がする。

無人攻撃機を作り使用する
大義みたいなもんは
兵士の命を守る為と
言ってるのを聞いたが

攻撃側がノンリスクになった時
果たして様々なリミッターを
かける事はできるのだろうか。

というと
じゃあリスクある有人戦闘機や
零戦や特攻隊はいいのかなどとなり
そんな質問には到底答えられる
訳もなく。

ここまで書きながら
一つ思った事は
突然毒吐くみたいだが

無人攻撃機って
一言で言うと
なんか
頭悪そうなんだよな。

ヴィジュアルも
近所のバカがつくった
紙飛行機みたく
薄っぺらくて。

無人攻撃機に対抗して
無人攻撃機作って
無人攻撃機軍VS無人攻撃機軍
とか想像するだけで
絵が頭悪そうな感じがして
他ならない。

だからっていって
有人は頭良さそうとかではなく。
しつこいようだが。

時々
軍が四足歩行ロボットみたいの
発明してこれなら無人で
戦地に行けるとか言って
奇妙キテレツな動きで走る
戦闘ロボットのニュースが流れるが
あれも頭悪そうなんだよな。

あのマヌケな戦闘ロボットバトルも
ターミネーターのオープニングとは
全然違うような。

何なんだろう。
この無人攻撃機に対する

ずりーな

とか

それやったら終わりじゃん

みたいな咄嗟に思う感覚。

ずりーなもないし
元々ずりーな対決だし
それやったら終わりじゃんが
戦争そのものな訳で。

そうか。

それを改めて
際まで感じさせる為の
無人攻撃機か。

絶対そんな事考えてないだろうが。

だけど
やっぱり
そこに辿り着くんだなぁ。

そこっていうのは
無人ってところね。

関係ないが
車の自動運転が
今なぜか急ピッチで各社
開発されてるが
逆になぜ最初から
自動運転じゃなかったのだろうか。

ジャンボ機でさえ
ずーっと前から自動操縦なのに。

自動車って言ってるのに
なんのための仮免検定の坂道発進か。

道には自動運転車
空には無人攻撃機

全く関係ないし
並列で書いたり
比較するのもどうかと思うが

なぜか
未来はやっぱり昔観たSFの様に
マシンに頼るようになっていくのか。

その時代の
死生観などどうなってるのだろうか。

永遠の命もありえそうな。

その時宗教は。

無人攻撃機のニュースは
答えのない禅問答みたいなもんで
永遠にループしてしまう
存在自体が壮大なクイズである。

おちまさと

無人偵察機とかさ
台風の中に突っ込んで
リサーチとかさ
何か弱めたりとか
できないのかね。

無人機ってそういう天災に
力発揮できないのかね。

27号何とかして欲しいね。