越智を巡る冒険は
愛媛県今治市の
さらに深い所へと進んだ。

越智氏が建てた
大山祇神社を訪ねる。

そこでまず驚いたのが
至る所に慣れ親しんだ
自分の家紋が飾られている
ではないか。
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ちぢみ三本の隅切り
という我が家の家紋。

この家紋のデザインの由来も
色々あるらしいのだが

越智氏が
今の言い方で言えば
部署を二つに分けて
一つは神社などの担当
一つは政治や戰担当
にして
神社系が越智姓
政治や戰系は河野姓
となったらしい。

河野さん
突然今日から身内感。笑

その河野氏の
河野通信が
戰の才能に長けていて
源平合戦で活躍し
源頼朝に高い評価を受け

由比ヶ浜での祝の席で
源頼朝が隣の北条政子の父の隣に
河野通信を座らせ
源氏三番目の男に選ばれたのを
河野通信は感動して

自分の船に三という字を書いた。

それが
波で歪んで見えて
このちぢみ三本がデザイン化された

という説もあるらしい。

出来過ぎだが
いい話だ。

話は戻って

この家紋。

やはり
自分のルーツは
この愛媛県今治市の
越智からなのであろうか。

かつて地名は
小千と書いておちだったらしく
名前はなぜ越智となったか
という説も色々あるようだが

ある一説には
越智、ベトナム人説もある。

かつて
ベトナム人が瀬戸内海に来て住み
海外の技術を頼るしかなかった
日本でものづくりの技術を
日本人に教え

ベトナムは漢字で越
その智恵という事で
あて字で小千という地名から

『越智』と書いておちと読むように
なったという説もあるらしい。

後に越智氏の
歴史的にハッキリしてるのは
島の配置や地理的に複雑かつ
波の動きが独特な
瀬戸内海の
水先案内人として
接岸しようとする船に乗り込み
代わりに操縦して
そのガイド料をいただくという

いわば瀬戸内海の海賊みたいな
ビジネスをしていた。

水先案内を代わりにして
対価を得る。

自分のプロデュースという生業と
とてもリンクする所がある
ような気がして
ますますリアルに感じる。

さらに
大山祇神社は越智氏が建てた神社
だが

越智の神様を祀っている神社

があるという。

大浜八幡神社。
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おちのみこと
という神様。

その神社内にある看板が。
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越智氏族発祥の地碑。

越智が生まれた場所だ。

そこには
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大きな石碑があった。

何だか小さい版だが
『ダ・ヴィンチコード』みたいな
気分だった。

よく

自分探しとか言うが

今回は
リアルな自分探しとなった。

常々ラッキーナンバーは8
の話は書いて来ているが

よく考えれば
四国お遍路さんは
八十八ヶ所。

しかも
八十八ヶ所めぐりを終えたら
高野山に行くのがルールらしい。

我が家の寺は高野山。

八で言えば
この神社も八幡神社だ。

僕はこの場所からのDNAを
受け継ぎながら今日生きている
のだろうか。

2012年最後に
自分の神様に
今年の家族や仕事の報告が
できた事は
とても貴重で不思議な
越智を巡る冒険となった。

おちまさと

この出張の本当の目的は
また書ける時が来たら書こう。

お世話になった関係者の皆様
ありがとうございました。

貴重な体験をさせていただきました。

今回の内容は
まだ全て秘密にしておいて下さい。

今後ともよろしくお願い致します。





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