特技は何かと聞かれた時

唯一あるとすれば


例えば

多くの人間で

ファミレスに行ったとしよう。


それぞれが

あの微妙な空気感の中

オーダーをし


一人ずつ

頼んだメニューが運ばれ


僕の頼んだメニューが

運ばれて来た時


「そんなのありました??」


と言われ


「私もそれにしておけば良かった」


と言わせる事ぐらいが

唯一の特技と言えば特技である。


それは

同じ数ページのメニューを与えられ

その中から同じ時間内に選ぶという

自分も全く同じルール上にいたにも拘らず

自分の想定外のものが

運ばれてきているところに


まさか


を創出しているから

余計驚くこととなる。


それが

所詮自分とは別のメニューを

見ていたのでは

メニューが違い

生きている世界が違うのだから

どうしようもないという事になりがちだが


全く同じ条件の場合

ポイントは


気づくか気付かないか


ただそれだけとなるので

余計まさかの振り幅は大きくなる。


とても小さな話だが


その同じメニューを見たはずなのに

自分が頼んだものよりも

美味そうなものが運ばれて来た場合

それは


小さな話だが


憧れ


となるのではないだろうか。


何が言いたいかと言えば


ゆえに


憧れとは金額ではなく

感受性なのではないか


ということだ。


成金趣味の家に憧れないのは

そういうところではないだろうか。


スタイリストが用意し

デザイナーがセッティングした

モデルルームの様な家にも

憧れないのも


うわべの取り繕われた

パーティーに憧れないのも


コーディネーターが整えた

旅行にも憧れないのも


全てはそういう事ではないだろうか。


憧れは感性である。


僕は憧れるか憧れないかが

大きな人生の指標となっている。


だからと言って

別に憧れられようとか

憧れられたいなどという

大それた気持ちなど毛頭ないことは

念のため書いておく。


ただ

リトマス試験紙は

憧れるか憧れないか

そこで色が変わるようにできている。


それは

時代によっても

憧れていたものが色褪せる事もある。


憧れと羨ましいは違う。


他人を憧れはするが

羨ましいと思った事はない。


羨ましいという言葉は

吾輩の辞書にはない。


人生も価値観も十人十色であり

羨ましいと思うという事は

誰かの価値観や概念と

同期してしまっているという事

ではないだろうか。


憧れるとは同期とは違う。


例えば

羨ましいという言葉で言えば

お金が絡んで来たりする。


同じメニューの中で

同じ時間の中で

選んだはずなのに

自分が頼んだメニューよりも

美味そうなものが運ばれてきている

人間に憧れは生まれるが


そこが

一人だけ

別メニューをじっくり自分よりも

時間をかけて眺めて決めて

自分とは違うメニューが

運ばれてきてもそこには

憧れは生まれず

もしそこに生まれるとすれば

羨ましいということとなってしまう。


羨ましいに生産性はない。


但し憧れには生産性が

後についてくる。


だから

僕は

何を見ても

動じずフラットに

ただ


そこに憧れはあるのかい?


と自問自答する。


憧れは感性であり

唯一金では買えない。


だとするならば


この僕が考える仮定が

正しいとするならば


できるだけ


憧れられることは何か


ということは

流石に25年も働いていると

思う時がある。


おちまさと


ただ

経験を積むと

お店には


『裏メニュー』


というものが存在する。


それは

同じように配られたメニューから

選んでいる訳ではないのだが

積み重ねの中で出て来るものなので

それは同じメニューを配られた延長戦に

あるのだということは書いておきたい。


それは仕事で言えば

人脈であり経験値であるので

特別メニューが出て来る事や

ショートカットすることも憧れであり

羨ましいと思っていては

何も進まない

のではないだろうか。