僕は現在の仕事について

25年間

結果として

自分のデスクを持ったことがない。


作ってみたこともあったが

全く意味をなさなかった。


最初の仕事である

放送作家という仕事が

各テレビ局や制作会社など

番組ごとにその場所へ

通っての仕事であり

それぞれの会議室などで仕事をし

時には喫茶店で打ち合わせをし


それが約14年ぐらい前から

プロデューサーという仕事になっても

それは様々な企業のジャンルが増えても

やはり変わらず会議室などや

時にはカフェと言う

当時の喫茶店に位置する

ところでも打ち合わせもし


現在でも自分の会社に

会議室はあるが

自分のデスクはない。


最近ノマドという言葉が

登場しているが

結果として僕は

最初からノマドであり 笑


日本人の多くは


「仕事を絵に描きなさい」


というと真っ先にデスクを

書く人が殆どらしいが

そういう概念が元からない。


近著の

『人間関係は浅くていい。』

おちまさとオフィシャルブログ Powered by Ameba

『人間関係は浅くていい。』(扶桑社)

という本にも書いたが


言うなれば

ある種のノマドネイティブであり


僕はノマドワークという働き方を

肯定しているし肯定しなかったら

これまでの

そして今の自分のワークスタイルを

否定することにもなるので 笑


すすめていることも

書いている。


そして

今年でブログ10周年のように

ネットに早くから触れていた

僕にとっては自分の働き方と共に

ネット環境が充実した事も

デスクなき仕事の味方を

たまたまフォローしてくれてきている

ところがある。


海外にいても

ハワイの家もいても

どこにいても今は

かつてはできなかった

映像や写真や企画書やデザイン

などのチェックをする事ができ

まさに

『どこでもドア』ならぬ

『どこでもデスク』状態が

どこにいても仕事を止めずに

前に進ますことができ

益々日々プロデューサーという

仕事の枠を広げてくれている。


それがノマドワークを

本でもすすめているポイントの一つ

である。


しかしだ。


ノマドとは

職業名ではない。


働き方の仕組みであり

僕で言えば

プロデューサーが職業であり

その職を進め

100のプロジェクトを常に

同時進行するには

デスクワークでは何も始まらず

まさに遊牧民的な動き方でなければ

不可能なのだ。


だから

結果論みたいなものなのだ。


その根源は


僕はテレビ番組のオーディションで

合格し現テリー伊藤さんの弟子に

なった時


初任給は1万6千円だった。笑


しかもその帰りに

電車の定期を買ったら

嘘みたいな話だが

ちょうど


1万6千円だった。笑


通うためだけか。笑


だから

生きる為には

物作りをたくさんし

結果を出す事と同時に

多くの人脈を作り

同時多発的にやっていかなれば

食えないので

自然と一ヶ所などには

定住できないので

あくまでも結果である。


同時に

元々性格的に

移動していないと

発想できないタイプでもあり

しかも

同時多発的にたくさんのことを

進めていくことが好き

ということも手伝っているが。


だから

僕の現在のノマド的働き方は

結果論なのである。


そして

ノマドとは

働き方の仕組みであり

システムであり

職業ではないのだ。


しかし

最近

二つ前のブログ ではないが

『違和感』を感じることがある。


それは

最近の若い世代でノマドを

職業だと思っている人がいることだ。


それは

かつてフリーターということが

働き方であるにも拘らず

途中から職業という位置づけ

のように変化した時のように

一つの職業カテゴリーのように

なりつつあることは

元からノマドのような人間にとって

違和感を覚えずにはいられない。


まずは自分が何の仕事をしているか


それも自称でなく


確固たる職業を持ち


それを大きく運営していく時に

このノマドワークスタイルを使う事が

とても有効なのではないだろうか。


それは

仕事を活性させ

より効率を高めるために。


「カフェで仕事します。

仕事はないけど」


では単なるカフェ好きでしかない。


「自分映画監督です。

撮ったことないけど」


に近い。


しかし

仕組みが職業だと

勘違いすると

手段と目的が逆転し

本末転倒を起こしかねない。


それは

千と千尋の神隠しの顔なし

みたいなもので

顔がないままになってしまう。


まずは

顔を作る。


その顔をどうやって

より多くの

ビジネスに展開するかが

仕組みである。


その一つが

ノマドなのではないだろうか。


顔がないところに

顔を先に作ろうとすれば

違う力学を使うこととなる。


例えば

まずはとりあえず先に

手段は何であれ

世の中に出て

それを顔として

中味はあとから考える

などと言ったように

誤った考えも起きかねない。


これでは

鋭角的に上がったものは

鋭角的に下がるように

短命となる。


まずは

自らの職業で世の中に何かを生み出し

その結果の積み重ねありきでなければ

さらに歯車を大きくしていくにも

大きくするもの自体がないのでは

仕方ない。


だから

まずは

働くしかないという

とてもシンプルなことなのだ。


また

もしかすると

ノマドとか働き方って

自分で言うのではなく

人に言われることかもしれない。


その方がいいかも知れない。


「あなたってノマドですね」


と言われて

初めて気づき


「そうか。私はノマドワークをしているんだ。」


ということを目指すべきかも知れない。


「私ってナチュラリストなの」


って自分で言っちゃう女性が

時々いるが 

それが一番不自然なように。笑


ではなぜ僕は自分で言ったか

と言えば

自分の25年間の働き方を

俯瞰視してフラットに

分析した時

とてもノマドという働き方と

近いのではないかと

他人事のように思ったから

という25年の結果論に過ぎない。


だから

もしかしたら

違うかも知れないが

近いものは感じるだけだ。


基本的に

僕は25年間毎日物を作り

世の中に売っているのが

職業である。

こうして改めて考えると

働き方とか評価とかお金とか
あらゆるものが

結果に対し勝手についてくるもの
なのかも知れないということを

再認識する。


しかし


最近


評価を早食いしようという風潮が


「視線をずらしても

目線に入って来てしまう程」


あからさまにあるように

見受けられるのは

私だけだろうか。


仕事の成功は

グーグルの検索のように

容易くない。


結果と評価は金では買えず


それを買えば近い将来破綻する


のではないだろうか。


例えば

起業だって

実際は立案と実現は

誰だってできるが

結果を出すことが難しい訳で


特に社会起業家などは

理念や勢いだけで作っても


それはあくまで

それこそ立案と実現までは

仕組みであり仕事ではない

のではなないだろうか。


あくまでも

働き方は手段であり

目的ではない


気がする。


おちまさと


今日は東京青山某所で

講演をさせていただいた。


講演をすると

ブログと同じように

自分の考えが整理される。


だからできるだけ

毎回違うテーマで

違う話をするように

心掛けている。


講演もあくまでも仕組みであり

講演そのものは職業ではなく

講演で何を話すかという

その中味が仕事となるのでは

ないだろうか。


18時から20時講演


ということは仕事ではない。


あくまでスケジュールであり

仕組みである。


何を話すかである。


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