あの人ってこうらしいよ

はイメージである。

もちろん
この『人』というところには
場所や物など様々な
キーワードが入る。

僕はイメージを信じない。

イメージどころか
人の感想も信じない。

だから
映画評や書評も見ない。

観た後
読んだ後には
見ることもあるが

観る前
読む前は
イメージがついてしまうので
見ないようにしている。

逆に自分がそれらを書く
仕事の依頼を受けることがあるが
信じてもらわくていいと
思っている。

イメージとは
とても逆にイメージを
貧困にさせる可能性があるからだ。

例えば
先月オアフで早朝
ランニングをしていると
カカアコウォーターフロントパークの
波しぶきが立つ海ギリギリの
岩場に座禅を組んで
海に向かって一人座り
波しぶきに
立ち向かっている男がいた。

僕はランニングで通り過ぎながら
咄嗟に思ったのは

毎朝あの人はああして
海に向かって座禅を組んでる
地元の仙人みたいな人なんだろうな

ということだった。

いや。
待てよ。

もしかしたら
それはイメージなのでは
ないだろうか。

男一人
波しぶき
座禅

というシチュエーションの
勝手なイメージから

毎朝ああして



地元の仙人

と思ってしまったが
もしかしたら

今日初挑戦の可能性もあるのだ。

しかも

地元でなく
アホ観光客の
一度やってみたかった的な
アホ行動かもしれないのだ。

僕はその人の後ろ姿しか
見ていないので
勝手に仙人のように
波しぶきなど全く気にせず
瞑想する表情を
イメージしていたが

もしかしたら
ものすごいビビリ方で
罰ゲームのような表情をしていた
かもしれないのだ。

先入観やイメージとは
恐ろしいもので
一つの固定観念をつくり
人間を既成概念に収めていく。

でなければ
指名手配犯が
東京近郊で17年も働きながら
生活などできないのでは
ないだろうか。

一枚の写真は
イメージを逆に
固定化させてしまった
一つの結果ではないだろうか。

これから
益々
個が試される時代。

イメージは疑え。

おちまさと

人間関係は深くなければならない。

これも
誰かがつけたイメージの一つ。

そういう一見
正義の剣のような言葉さえ

時に疑うことも重要である。

詳しくはこちらのブログを。


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