例えば
タイムマシンがあって
3年前に戻り
「2012年の世界は
一年前に起きた
東日本大震災で
福島第一原発が
メルトダウンを起こし
未だに放射性物質汚染が
治まらず
島田紳助さんが
テレビから消えて
元猿岩石の有吉くんが
総合司会を何本も
務めているんだよ!」
と2009年の日本人に
伝えたら
「あっち行け」
と言われるのではないだろうか。
このように
世界は
「まさか」
でできている。
そして
世界が「まさか」でできているならば
個人の人生はもっと「まさか」で
できていると言っても過言ではない。
果たして
一年前
今日自分の目の前に広がる景色を
全て言い当てる人が何人いるだろうか。
去年の今日
今携帯のメモリーに入っている
メンバーを全員予言できた人は
1人でもいるのだろうか。
「人生は日々初体験だらけである」
ということも
過去にブログで書いたが
「まさか」
の連続なのである。
そこで
僕の仕事である
「企画」や「プロデュース」という仕事は
その「まさか」を生産している
と言ってもいい。
世の中が
「まさか」
と思うことをあえて創出していく。
それが
「企画」であり
「プロデュース」という
生業である。
「まさかこんなところにこんなお店が!」
「まさかネット上にこんなものが!」
「まさかベビー用品でこんなものが!」
「まさか」
「まさか」
「まさか」
「まさか」が人の心の琴線に触れ
サプライズを生み
感動を呼ぶ。
しかし
その「まさか」が裏に入れば
「まさか」のデフレスパイラルと
なって行く。
「まさか」は「真逆」
ポジの「まさか」と
ネガの「まさか」は
真逆であり背中合わせである。
海外に行けばいく程
現在の日本は
このポジの「まさか」が
かなりの遅れを取っていることが
痛切にわかる。
それはなぜか。
それは
「文化」を捨てたから
ではないだろうか。
捨ててはいないと思う。
どっちだよ。笑
いや
捨ててはいないのだが
全員が
「文化」よりも「数字」
を追いかけているのだ。
いや
「数字」を追いかけても
「文化」も同時に生むこともできる。
しかし
日本人は
時間を一直線に考える
傾向がある。
〇〇でありながら
〇〇でない
〇〇もやりながら
〇〇もやる
という思考が薄い。
人生これ一筋の美学。
その美学
わからなくもないが
人生数字一筋になり兼ねない。
日本以外は
前にも増して
「文化」の成長と創出を
国をあげて挑んでいる。
『「文化」なき国家は消えゆく。』
今作った言葉。
この「文化」の秘密であり
根幹はなにかと言えば
「まさか!」
ではないだろうか。
「景気悪いから数字を追いかけないと
しょうがないんだよね」
この言葉のどこに
「まさか」があるだろうか。
毎日
同じ6時2分の電車の
同じ席に座り
同じ会社に行く。
このどこに「まさか」の生産が
あるだろうか。
今の日本に欠けているのは
この「まさか」の生産である
のではないだろうか。
「今ってこんなじゃん。
だからこれが売れるんだよね」
一体何が楽しいのだろう。
マーケティングの数字など
残念ながら「体温マーケティング」に
敵う訳がない。
そして
これからは
益々そこが必要な
サバイバル時代に突入している。
「そこに「まさか」はあるのかい?」
それを自問自答して
一ミリも「まさか」がないようならば
ゴミ箱へドラッグする勇気を持つべき
ではないだろうか。
おちまさか
海外と比べると日本は
この「文化の放棄」を
凄く感じる。
やってるんだろうが
諸外国のように
もっともっと国が予算をつけて
「文化」の生産をしなければ
相当追いつけないことになっている
ことに気づいていないのが
また怖い。
気づいていないのか
気づきたくないのかは知らんが。
それは国というよりも
国民がでもあるが。
その「「文化」の肝」が
「まさか」
なのである。
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