今朝

家のリビングで

遊んでいる娘に

妻が

「トマトがあるよ!」

とミニトマトを

娘に見せたら

食べたい食べたいと

自らパクついていた。


イスに座って

食事の態勢で

「さあトマトを食べよう」

となったら

そこまで率先して

食べようとはせず

元々苦手だったトマトを

「食べたい!」という欲求で

食べている娘の姿を見て

自分の子供の頃の

出来事を思い出した。


母が例えば台所で

お弁当用の

エビフライを揚げていて

トレイに取り上げられた

エビフライを見て

「一つだけならいいわよ」

と食べた時の

エビフライは格別の味がした。


手で持って

そのままソースをかけて

食べる。


数分後

たっぷり食べることができても

その時よりも

この一匹はたまらない。


これは

エビフライに限らず

揚げている最中のドーナツでもいい。


別に揚げ物でなくてもいい。


ただ

揚げ物はとても

こういう時

象徴的な感じで伝わりやすい。


簡単に言えば

これは総称して


『つまみ食い』


ということなのだが

なぜ後でゆっくりたくさん食べる

エビフライやドーナツよりも

立ったまま食べる

たった一つのエビフライやドーナツが

美味いと思うかと言えば

それは


『限定』


ということだからなのだろう。


なぜ人は限定に弱いのか。


今日の妻と娘の

トマトのやりとり


を見るまでは

人が限定に弱いのは

大人になる経験値においてだと

あまり考えずに思い込んでいた。


しかし

こうして

約1歳8ヶ月の娘や

自分の子供の頃を思い出しても

経験値とかではなく

もっと


「そこにあるたったひとつ」


への執念というか

テンションの高さが

本能的に

あるのかもしれない


と感じたのだ。


美味い名店は

和食にしてもイタリアンにしても

量が絶妙である。


まさに

これはこれだけ食べたいんだよなぁ


という量だけ出て来る。


これが名店たる所以ではないか。


中には

この絶妙な量を続けて

それを導火線として

結果めちゃめちゃな量を食べてしまった

という仕掛けの名店も

全国いや世界にはあることも

書き加えておく。


しかし

ただ大量なカニ

ただ大量なウニのパスタ

など誰も要求していない。


まさに

そこは

母親が台所で調理中の

出来上がったばかりの料理の

つまみ食いを


逆に演出する


という限定感なのかも知れない。


服でもバッグでも

人間はどうしても

ないと言われれば欲しくなり

最後のひとつと言われれば

一応キープしておいて欲しい

という衝動にかられる。


一体


なぜ人は限定に弱いのか。


それは

どこかで

自分の命

そして死ということの


限定感


を察し直面するから

なのだろうか。


いつも考えなかったとしても

結局自分の人生は寿命という


「限定された時間」


の中を生きている。


これがもし限定でなく

永遠の命だった場合


果たして

母親が台所で揚げたばかりの

ひとつのエビフライや

エクスクルーシブのハンドバッグに

ここまで興奮するだろうか。


台所のエビフライから

偉い大きな話に繋げてるなぁ

と思うかも知れないが

経験値でもなく

1歳8ヶ月や子供が

本能的にそのひとかけらへ執着する

ということは

こういうことなのではないのだろうか。


人間は元々狩りをしてとか

農耕民族の場合はすぐ食べないととか

そういうことではないような気がする。


「どうしても限定って言葉に弱いのよねぇ」


というよく聞く言葉の答えは


人生=限定


という


時間=死


という


ところに

辿り着いていくのではないだろうか。


よく思い出して欲しい。


あの


たった一つのつまみ食いの美味さを。


あのうまさは

かなりな


禁断の味


ではないだろうか。


あれを100個食べ続けたら

やばいことが起きそうなぐらい。


台所の揚げたてのエビフライは

もしかしたら時間そのもので

これを食べ続けたら

夢を食べる獏のように

自分の時間=寿命を食べてしまっている

ような気がしてくるので

美味さと禁断の両面が

寄せては返すのではないだろうか。


つまみ食いやめますか。

人間やまますか。か。


なぜ人は限定に弱いのか。


その答えを

自分なりに考えたら

こうなった。


A 禁断の自分の寿命に

手を出した感があるから。


おちまさと


今日

鎖で仕切られている

ガードレールを越えようとしたら

脛を引っ掛けてしまい

怪我をした。


咄嗟に思ったのは

「走れるか」

ということ。


毎日走っていると

こういうことをつい考えてしまう。


こんなの

レース前だったら

相当凹むだろうなとも思いながら


アスリートって

こういう関係ない時の怪我も

気にしながら生きてるんだから

本当に凄いよなぁとも思った。


そして風邪でも怪我でも

何でもそこに行く

近所のクリニックに行ったのだが


ここの外科医の1人が

いつもいい加減で

一度は筋肉の痛み止めの

筋肉注射で余計痛くなった

という意味の分からない

本末転倒ぶりがあったのだが


今日たまたまその医者で

また適当なことばかり言い

さらには何の経験もないのに

全て年齢のせいにする。


例えばランニングなんか

50歳代60歳代

下手すりゃ70歳代と

体力もタイムも上がる人もいて

年齢など関係ない。


ボクシングだって

50歳でチャンピオン返り咲きとか

あるようにスポーツによっては

年齢と共に進化していく。


自分の事で言えば

今の自分と

高校生時代の自分で

マラソンを競争すれば

ダブルスコアで

今の自分が勝ててしまう。


何でも年齢のせいにする医者

どう思いますか

特に女性のみなさま。


「僕ら医者が見れば」


とか言ってたぞ。


それなのに

痛み止めの注射で

余計痛み促進してどうすんだ。


限定に弱いの逆であり

何でも年齢で切られると

人は強くなるのかも知れない。


あの外科医に

1000人の女性の前で

同じことを言ってみて欲しい。


多分一分で

逆さづりにされるだろう。笑


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