大型ショッピングセンター

とか人混みを歩いていると

世界各国の多くの人が

スマホを操っている。


歩きながら

そして

ベンチに座りながら

どこかに腰掛けながら

さらには

Wi-Fiを探しながら

そして

ある一か所に集まって

スマホをいじりながら

時々遠くを見たりしている。


この現象

何かに似ている。


ついこの間までの

タバコだ。


歩きながら

そして

ベンチに座りながら

どこかに腰掛けながら

さらには

喫煙所を探しながら

そして

ある一か所に集まって

タバコを吸いながら

時々遠くを見たりしていた。


少し前まで

日本を始め

世界各国で見られた

喫煙する人の姿である。


すっかり

喫煙者はいなくなり

それがスマホに取って代わった

ように見える。


少々二つを比較してみよう。


まず

スマホは基本的に

人に迷惑をかけない。


喫煙は副流煙が

人に迷惑をかける。


スマホは近付いても

何も起きないが


喫煙は何百度という

熱があり触れば火傷する。


だから

「歩きスマホ」は

人にぶつかっても

火傷しないが


喫煙は

振っている手が

子供目線だったり

とても危険だ。


そして


スマホは基本的には

そこまで自分の体に

直接的な害は少ないが


喫煙は

健康を害する恐れがあることを

承知で行っている人が多い。


ならば

喫煙がスマホに

取って代わったのであれば

別に問題ないではないか。


しかし

喫煙のように

自分の体を蝕む恐れがある

という意識があるものと比べ


スマホはどうだろうか。


スマホというよりも

インターネットである。


ネットが一般的に

使われるようになって

10年以上が経ち


これ程までに

とてつもない

文明の利器は

なかなかなく


これまでの

辞書に代わり

電話番号案内に代わり

日記に代わり

発言の場として

新聞や雑誌や書籍など

メディアに代わり

あらゆる場面に応じて

機能を発揮している。


もはや

初めて行くレストランは

レビューにより初めてではなくなり

グーグルストリートビューで

予め見ておけば

どんな初体験も

本当の初体験では

なくなってしまった。


便利である。


もちろん

僕も使う。


人間そこにあれば使う。


こうして今もネットを繋ぎ

ブログを書いている。


それも

かつて10数年前のように

何秒いくらという

ドキドキしていたネットではなく

Wi-Fiが繋がれば無料で

繋ぎ放題なのである。


こんな便利なものを

使わない手はない。


しかしだ。


ここには

覚悟がいる気がしている。


もはや

ネットにより

人間は記憶も

評価も価値判断も

あらゆるものをネットで

手に入れることができる。


こんなにおもしろいものを

作ってしまっては

それは多くの時間を費やすのは

当然であり


まるで

以前の


寸暇を惜しんでタバコを吸う様



今は


寸暇を惜しんでスマホをする様


に取って代わったのも

止むを得ない。


それ程

ネットは


やばい


ものなのだ。


しかし

先程の話に戻るが

喫煙は体を蝕む意識があるが


ネットには特段

そんな意識など毛頭ない。


意識どころか

人間にとって何か

悪いことなどあるだろうか


という思いの方が強い。


確かに特段ない。


だからこそ

やっかいなのだ。


今日知り合いたい人と

世界中の人間と友達になれ

世界中の人間とゲームで対戦したり

チームを組んだりできる。


こんなに楽しいものはない。


こんなに楽しいものはない結果

自意識なく寸暇を惜しんで行う様


これこそ

ある種の


中毒


という言葉の証明

なのではないだろうか。


だとしたらだ。


ある日


タバコにおける


禁煙


がある日から

騒がれ出したように


禁ネット


禁網


も騒がれ出すのだろうか。


タバコだって

ずっと飛行機でもタクシーでも

どこでも吸えたのだ。


今では考えられないが

飛行機などシートベルトのサインが

ついている時だけ吸えず

あとはほぼ全員が吸い

赤ちゃんがいようが

機内は煙で真っ白になっていた

時代がついこの間まであった。


その頃

意識がなかったのだ。


ある日から

タバコやばくないか

ということになり始めた。


ネットは今でも

なかなか飛行機ではできないが

同じように

ある日突然

「こんなにネットは大丈夫なのか」

とならないだろうか。


しかし

タバコは直接的そして間接的な

害があるかもしれないが

ネットはないように見える。


だから

そんな


禁網


など起きない


と思えるが

果たしてそうだろうか。


ネットは

いろんな時間を省いてくれる。


本来であれば

めちゃめちゃ時間を要するところを

基本キーボードを打ってる時間だけで

全てを解決してくれる


ように見える。


この


ように見える


ところに何か

禁断の甘い蜜がありそうな

気がする。


禁断の甘い蜜は

吸えばその代償を

ある日払うこととなる。


本来であれば

時間をかけなくては

読めないような論文でも

調査結果でも

パッと手品のように見ることができる。


これはこれでいい。


とても

自分の中で葛藤している。


とてもいい反面


何かを捨てていないだろうか


と考える。


考えてみる。


例えば

小説を読んだ時

読書は作者の行間を読み解く

のもその楽しみの

魅力の一つだと思う。


しかし

こんなにも

欲しい情報が

手品師のシルクハットから

出て来る白い鳩のように

パッパと出て来ていては


なぜこんなにも鳩は出て来るのか

という


まさに行間を読む感情など

考えることさえバカらしくなって


白い鳩が出て来ることが

日常になってしまうのではないだろか。


と心配してしまう。


簡単に言えば

結論だけが

そこにあり

過程など語られない。


いや

でも便利な文明は生まれれば

使われることが運命であり

使われないはずがない。


コンビニエンスストアが生まれれば

誰もが使うようになるのと同じである。


そんな時代は

いかがなものか

と言われようが

それらを使う上での

新たな時代が構築されていく

のもわかっている。


ただ

時々

大型ショッピングセンターなど

群衆の中で

まるでかつての喫煙者のような数と

その使用するのが当然な如く

同時に扱っている多くの人間を

見ると


コンビニエンスストア

とは違った


何か

とても


禁断


を感じてしまう。


それはまるで


アップルのロゴの

かじられたリンゴのように。


スティーブ・ジョブズは

結局あのロゴマークの

正式な意味は語らず

亡くなったようだ。


しかし

どう考えても

あれは

アダムとイブの林檎

ではないだろうか。


アダムとイブは

禁断の林檎を齧り

その日から

人間は寿命という罰を

与えられ続けているのだろう。


もしかしたら

スティーブ・ジョブズは

PCまたは

インターネットが

人間にとって

禁断の果実

ぐらい

ある種やばいもの

だということを

最初から一人だけ

無意識でなく意識していた

のだろうか。


スティーブ・ジョブズが

亡くなって

いろんな人のメッセージを

読んだが

中でもオバマ大統領の

メッセージが印象に残った。


「世界中の多くの人が

彼の訃報を

彼自身が発明した道具で

知ることになった。

それこそが何よりも

彼の成功に対する

最大の賛辞かも知れません。」


この言葉は

オバマ大統領が考えたのか

ブレーンが考えたのか知らないが

一番腹落ちするメッセージだった。


スティーブ・ジョブズは

林檎を一齧りしたまま

亡くなってしまった。


残された

我々は

これだけ便利になった

ネットとこれから

どう向き合って

行けばいいいのだろか。


そこは何か言葉として

残されていないのだろうか。


今リアルのアメリカの

アップルストアに行くと

レジも全て店員の

iPhoneで処理され

どこかの百貨店や

どこかのブランド店のような

待つストレスなど微塵もない。


全ては

その名の通り

スマートに

スタイリッシュに

何もかもネットで賄えてしまう。


だからこそ

禁断な気がしてしまう。


しかし

一方で

今1歳7ヶ月の娘が

大きくなった時

多分それは当たり前となり

教科書もノートも

全てクラウドで処理している

かも知れない。


僕らだって

物心ついた時すでに

テレビが各家庭にあり

とんでもないことになる

と言われていたが

大してとんでもないことに

ならないでいる。


そう考えれば

考えすぎとも思う。


だが


カラーテレビと

ネットは

その存在が違うんだよなぁ。


一通と

5車線ハイウェイとかみたいに。


それが

スティーブ・ジョブズのおかげで

さらにスマートになったのが

ポイントである。


ある日


意識して


空港内禁網


禁網車両


禁網タクシー


当店は

オープンスペース以外

禁網


建物の5m以内は

禁網


とかいう日が

来るのだろうか。


だけど

タバコみたいに

わかりやすくないからなぁ。


これもまた

自分との闘いになるのかも知れない。


時々

あえて

わからないことがあったら

辞書でも引いてみるかな。


やらんよなぁ。


人間って

堕落する方向に

文明も栄えていくから。


しかし

禁煙だって

自分であえて

自分を律してやるものだし

実際に僕は何年も前に

タバコを辞めたではないか。


ある日

自分を律して

禁網やってみるのも

いいかも知れない?


だけど

ネットは

使っちゃうようなぁ。


だから

全ては

バランス。


これからは

リアルとヴァーチャルなど

自分を律してバランスを取らないと

ならない大変な時代なのでは

ないだろうか。


おちまさと


湊かなえさん作品は

『告白』が本屋大賞を

獲る前から読んでおり

全作品出たらすぐ読み

ここでも書いて来ている。


『境遇』を読んだ。


初めて推理が

そのまま当たった。


綿谷りささんの

『かわいそうだね?』

を読んだ。

個人的には

二つ目の作品

「亜美ちゃんは美人」

の方が好きだ。


しかし

ネットが一般化する前と

した後では

圧倒的に


メールや

検索や

ブログや

ツイッターや

フェイスブックなど


文章を書くことも

文章を読むことも


増えている中


本当に

読書離れはあるのだろうか。


もちろん

ネットは動画も写真も色々だが


ネットはどこか


テキスト文化


の占有率が

結局多い気がする。


スクロールということと

そりが合っているのだろうか。


ネットでのテキストは

読みたいが

本離れはする。


本当なのだろうか。


まずは

僕の本でも読んで欲しい。笑


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