現在来日中の

ブータン

ジグメ・ケサル・ナム・ゲル・ワンチュク

国王夫妻。


そんなブータン国は

1972年に当時のブータン国王

ジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が

「国民全体の幸福度」を示す

“尺度”である


「国民総幸福感」


を提唱。


これまで

国民総生産

(Gross National Product, GNP) で

示されてきたような

金銭的・物質的豊かさを

目指すのではなく

精神的な豊かさ

つまり幸福を目指すべきだとする

考えから生まれたものである。


現在ブータン政府は

その国民総幸福量の増加を

政策の中心としている。


政府が具体的な政策を実施し

その成果を客観的に

判断するための基準にするのが

主な用途で1990年代からの

急速な国際化に伴って

ブータンで当たり前であった

価値観を改めてシステム化

する必要があったという。


2007年に初めて行われた

ブータン政府による国勢調査では

「あなたは今幸せか」という問いに対し

9割が「幸福」と回答した。

(ウィキペディアより)


つまり

新しい価値観を

仕組化し

それを国民に根付かせ

90%以上が実際に

「幸せ」と感じる国創りを

合言葉とすることとともに

本当にそれを実現することに

成功しているのだ。


今の日本からすれば

嘘みたいな夢の政策であり

その実行力実現力を

本当に学ばなければならない。


そんなブータン国王との

宮中晩さん会をキャンセルした

一川保夫防衛相の

「幸福感」とは一体何なのかを

聞いてみたい。


今日本は

窮地に立たされている。


こんな時どうする。


僕は


きづく

かんがえる

くらべる


この三つにより

まさにこの言葉の

頭文字である


きかく


を考えることが

重要であると


『「気づく』技術』


でも書いた。


その中の


くらべる


はまさに

海外のいくつもの例を

くらべることは

とても大切な作業となる。


現在

破綻寸前と言われている

ギリシャもイタリアも

首相を政治家ではない人を

擁立した。


普通では考えられない

任命である。


ギリシャの

ルカス・パパデモス新首相は

欧州中央銀行前副総裁であり


イタリアの

マリオ・モンティ新首相は

元EU競争政策担当委員であり


いわゆる政治家


ではないという。


もしも

これに学ぶとするのであれば

僕は前々から

このブログで書いているが

この日本経済破綻が

囁かれている現在は


急遽

経済界の天才が

国の運営を

もっとハッキリ言えば

総理大臣や内閣を形成して

一度立ち直らせるという

大英断を国民が語っても

いいのではないだろうか

と思うのだ。


例えば

孫さんとか

例えば

柳井さんとか

経済界の天才に

とりあえず

国の経済が復興するまでは

国の舵取りを任せてみるという

ことである。


どう甘めに見ても

今の内閣では

一兆円あったとしたら

それは最高でも

一兆円の価値しか生まない

費用対効果など

まるでないように

感じられてしまう。


今は一兆円で

何兆円もの効果を

生み続ける仕組みを

生み続けなければ

復興の道はないのでは

ないだろうか。


大体

経済界の天才から見れば

今の日本政府のやり方など

まるでイチローさんが

草野球を観るような感覚で

そのふがいなさに

苛立ちを感じているのでは

ないだろうか。


少々数字の話をしたが


今日本はその危機を

乗り越えなければ


国民総幸福感


を得る以前の問題で

破綻しかねない。


僕は

幸せには

人それぞれの


『幸せ定規』


があると思っている。


幸せ感は

全員が一緒だとは

限らない。


だから

「これが幸せだろ!」

と人に幸せ感を強要することは

できない。


ブータン国の

90%以上の国民が

幸せと答える秘密秘訣は

一体何なのだろうか。


別にそれを

全て真似することもない。


しかし

今こそ

ブータン国の国民総幸福感

ギリシャやイタリアの首相選びなど


時には海外から学ぶ


ことも必要なのではないだろうか。


おちまさと


朝のランニングが

一気に寒くなったので

今日一瞬アディダスに行き

手袋始め

マラソン冬支度を購入。


しかし東京

明日は朝から雨とか。


昼間の日向は

暖かいが

朝の日陰はもう

めちゃめちゃ寒い。


しかし

走れば

暖かくなる。


じっとしていれば寒いのに

動けば暖かい。


そんな

寒いのに暖かくなる

アイテムそしてランニング。


そこに

幸福を感じるか感じないかも


幸せ定規


の話である。