道を歩けば

「気づく」にぶつかる。


僕は24時間365日

「気づく」のが

子供の頃から癖と

なっている。


「あんなところに

あんなお店あったっけ?」


「これおかしくないか?」


多分それは

正直全てを疑っており

疑問あるところに

質問が生まれるので

それは

「気づく」となる。


だから

先日上梓した


『相手に9割しゃべらせる質問術』


と今週発売される


『「気づく」技術』


はとてもリンクされている。


先日も

ここでも書いた

ポリオ予防接種の件 だが


僕は

去年5月娘が生まれてから

日本の予防接種の複雑さに

疑問を持ち始めていた。


ただでさえ

多くのニュースを収集するのが

癖となっているので


特に気になっていた


ポリオの

生ワクチンと

不活化ワクチンの問題に

すぐ辿り着いた。


ここに

「気づく」と

国の制度を変える時間か

我が子の接種の時間かの

勝負となってくる。


情報を集めれば

集めるほど


自己判断

自己責任


という空気に「気づく」。


ならば

こちらとしても

自分なりの情報を収集し

結論を出さなければ

タイムリミットは

過ぎてしまう。


僕は

僕なりに情報をかき集め

結果

不活化ワクチンに

切り替えた。


全4回の

ポリオ不活化ワクチン。


3回を終了し

最後の一回は

4歳の時に摂取して

完了となるらしい。


しかし

これは

あくまで僕が判断したことであり


何が答えかは

国も何もハッキリとは

言ってくれず


わからないので


それぞれの親が

それぞれの情報と

それぞれの状況で

判断するしかない。


国は何も言ってくれない。

言ってくれてるのかも

知れないが

近未来などどうでもよく

今どうすればいいかが

語られていなければ

当事者としては意味がない。


故に現在の日本


それぞれの親が


個で「気づく」しかない


ということであり


特に子供の問題は

予防接種だけでなく

放射性汚染物質から

日本経済から

教育まで


個で

判断していくしかない。


「そんなの

国がちゃんと

言ってくれないと困る」


とかいう時代も

もしかしたら

終わったかも知れない。


それ以上に

国民も国のことを

選挙にも行かず

「興味がない」

という一言で

あまりに

人任せにし過ぎて来た

のかもしれない。


ネットが登場し

すでに情報は

与えられている。


これまた

ネットが苦手

ネットが苦手な世代は

どうするんだ論

になるかもしれないが

もうそういう論争を

している時間も

過ぎたのかもしれない。


自分で「気づく」

そして

自分で情報をかき集め

自分で判断し行動する。


そういう時代なのだ。


ついに

イタリアが破綻が

現実味を帯びてきていると

言われている。


もう今までのように

平和が与えられて

受け身でいればいい時間は

どちらにせよ

終わってしまったのかも知れない。


なぜなら

そこで文句を言っていても

子供の予防接種などは

時間制限があり

その時間を

情報収集と判断の時間に

費やした方がよさそうだからだ。


もちろん

国の判断が

もっと早くなり

もっと的確になれば

素晴らしいとは思うが

待ってられない。


こういうことが

これから増えていく一方に

違いない。


パラダイムシフトに

「気づく」ことこそ

サバイバルを可能にする

のではないだろうか。


おちまさと


僕が住んでいる

レジデンスは

つい3日前から

ジムへの導線が

さらに簡単になった。


これは

僕がこのレジデンスの

会社の方々に

「構造上できるのだから

できればそうして欲しい」と

お願いしていたことが

時を経てやっと形となった。


これだけでも

こうして時間が掛かる。


こんな改善は

まだ時間が掛かっても

どうでもいいが


国や役所にも

都合があり仕組みがあり

段取りや印鑑や

“大人の世界”が

必要であることもわかる。


わかるが

その時代も

もう終わりにしたらどうだろうか。


黒澤明監督の

『生きる』から

そこは何も進化していない。


特に子供の予防接種など

一秒も待っていられない。

メルトダウンにおける

放射性物質も同様に。


しかし

こんな相変わらずの

遅い対応反応で

EUからの世界恐慌や

おさまることのない

放射性物質の汚染問題

原発停止における

電力不足と電気代の高騰や

さらなる東京直下型地震

などに即対応できるのであろうか。


甚だ疑問である。


疑問あるところに質問あり。


そこには「気づく」が生まれる。


というインフィニティ。


娘は不活化3回目を

終了した。


僕のマンションの住人で

ジムに通っている人は

絶対今回の改善を

喜んでいるはず。


それは

人の言の葉に乗り

結果物件の価値を

上げることとなるかもしれない。


予防接種の問題

一つとってもそうなのだ。


改善することで

結果国の価値が

上がることに繋がるかも

知れないのだ。


それなのに

なぜ時間が掛かる。


その効率化を図る為に

ITは生まれ時代は変わっている。


何でも効率化をしろと

言っているのではない。


何でも効率化を図れば

文化もセンスもなくなる。


しかし

人間の命が

掛かっているとしたら

そこはいろいろな段取りを

飛び越えていくべきでは

ないだろうか。