気づくことが

僕の生業である。


人よりも早く気づき

それを実現して

結果を出す。


その繰り返しである。


それを表現する

場所やジャンルが

毎回違うだけで

背骨は常に同じである。


ところで

子供は

気づく生き物である。


だから


「何で?」


を繰り返す。


なぜなら素直に


“その本質”


が知りたいからだ。


質問する度

大人が曖昧な答えをするほど

その答えの中から

新たなことに気づき

それを質問化する。


『相手に9割しゃべらせる質問術』


という本を出しているが

僕は多分

年齢を重ねても

その子供のような

「何で?」が尽きず

どんな答えを聞いても

さらなることに気づき

質問を思いついてしまう。


だから

子供のそれのように

何か興味があることに触れる度に

質問を重ねる。


もしかしたら

子供と同じように

「しつこいな」

と思われていることが

あるかもしれない。


しかし

それが

僕の場合

仕事に不可欠な要素

となっている。


“気づくとは

疑問である。”


まず

疑問を持たなければ

気づくことはない。


気づくために

僕はよく俯瞰からものを見る。


俯瞰のカメラから見ると

地面にあるカメラでは

気づかなかったことに

気づくことは多い。


それと同じで

海外にいる時に

日本を見ると

多くのことを俯瞰して

見ることができ

日本にいる時以上に

日本に気づいてしまう。


企業プロデュースの仕事を

多くさせていただているが

よくあるのが

その専門分野だけの世界に

長年どっぷり入り込んでいると

どうしても視野が狭まり

あたりまえのことにも

気づかなくなることがあるようだ。


そこで

違う視点から

俯瞰した意見が

喜んでいただけることが多い。


“プロデュースとは

視点変えである。”


そのように視点を変えて

海外から日本を

俯瞰視していて

最近益々気付いたことの一つは


『事なかれ主義』


の極みの蔓延である。


『事なかれ主義』


とは


いざこざがなく

平穏無事に済みさえすればよい

とする消極的な態度や考え方。


とにかく角を立てず

丸く収める。


空気ばかりを気にして

何一つ前進なし。


日本は有事である。


大震災

原発事故による放射性物質汚染

先行きの見えない経済不安


それにも拘らず

本質を語るよりも

空気を壊さないことを重視している

かのように見える

なあなあ状態。


こんな時こそ

角が立って上等。


角が立ち

時にギザギザにならなければ

そのギザギザを削ぎ落とし

研磨してダイアモンドのように

輝かせることさえもできない。


それは


「お前本当のこと言ってどうすんだよ」


という恐ろしい感覚。


未だに


「ひとつになろう」


という魔法の言葉の煙幕で

全てを包み込み

丸く収めようとしている

この異様な雰囲気は

一体何なのだろうか。


メルトダウンから

もうすぐ半年が経とうとしている。


日本人は

すでに終わったことのように

片付けているようにも見えるが

何も片付いてはいない。


なぜ

本質を解こうとしないのだろうか。


東大・児玉教授の満身の怒り

の中にはたくさんの本質があった。


「がんとは何か」


「なぜ放射性物質ががんを引き起こすのか」


「なぜ子供が最も

放射性物質によりがんを引き起こすのか」


という

まさにそもそもの本質が

語られている。


全ては

DNAの問題であり

成長期である子供は

細胞分裂が多く

DNAの2本の螺旋が

一本になる瞬間が多いために

その脆弱な瞬間

放射性物質により

がんになりやすい

というわかりやすい説明もあった。


「放射能、子供は怖いんですって」


という上っ面な話では

何も進まない。


その上っ面の先には


「まあ、あまり考えても仕方ないからね」


という事なかれ主義へと突入していく。


いやいやいや。

仕方なくなんかないのだ。


今こそ

考えなくてはならないのだ。


今考えないでいつ考える。


もはや


「なぜ節電するのか」


などということも

原子力発電とは何かなども

すっ飛ばし

目的と手段を完全に

見失っているようにも見える。


なぜ本質を見極めようとしないのか。


今こそ

丸く収めるのではなく

角を立てるべきではないのだろうか。


ひとつになんかなる必要がない

のではないだろうか。


もうすぐ

新しい総理大臣が生まれる。


一体この国は

こんな1000年に一度の

異常事態に何と進化のない

半年を過ごそうとしているのだろうか。


一体

現内閣は

大震災

原発事故

経済不安に対し

具体的に何をどうしたのかを

箇条書きで挙げれる人は

果たしているだろうか。


次の内閣も

事なかれ主義で

土日休みか。


しかし

なぜ民主党は

自民党の総裁選と同じ仕組みを

続けるのだろうか。


代表選など

ガラス張り

可視化とは言え

この有事の中で

ある会社の社長選びを

見させられても

どうでもいいことなのではないだろうか。


なぜ政権交代をしたにも拘らず

結局同じシステムで総理を選ぶのだろうか。


その仕組みを否定し

変えるはずだったのでは

ないのだろうか。


甚だ疑問である。


しかも

この新たな総理選びでさえ

丸く収まる人を選ぼうとしている様に

見える。


ムーディーズによる

日本国債の格付けは

上から3番目の「Aa2」から

4番目の「Aa3」に

1段階引き下げると発表された。


今経済破綻が叫ばれる

イタリアより下の

先進国では最低ランクである。


その理由の一つに

「総理大臣がころころ変わる」

という政治不安定があげられている。


ここで

丸く収めていては

悪化は続行するばかり。


今こそ日本は

勇気を出して角を立てるしか

生き残る道はないのではないだろうか。


そこには

本質を解くことが

最初の絶対条件となる

気がしている。


おちまさと


しかし

本質を解く

ということで言えば

今各家庭で

子供に

「暴力団って何?」

と聞かれた親は

何と答えているのだろうか。


これだけ

メディアが無防備に

その言葉を垂れ流せば

気づく生き物である子供は

そのそもそもの

本質的疑問に辿り着くはず。


辿り着けば

聞きたくなるのが人間の性。


代わりに答えてくれる

「週刊こどもニュース」

も今はない。


同様に

「原発って何?」

と聞かれて

100%答えられる親は

果たしてどれだけいるのだろうか。


原子核の分裂によるエネルギーを

語れる親はいるのだろうか。


「そんなことより宿題やりな」


という事なかれ主義の

なあなあな

その場を丸く収める

昭和的空気論に

未だに話をずらしては

いないだろうか。


時は21世紀。


メルトダウン後の世界である。


「何で?」


と聞かれた親は

今こそ


「確かに何でだろうね」


と疑問を返し

自ら本質を解き


角を立てるべきでは

ないのだろうか。


そんなことより宿題。


そんなこととは何事だ。


子供は

そんなことではない

と気づいているに違いない。


もう誤魔化せない。


ひとつになろう


空気を壊さない


では

もう誤魔化せない


そういう

未だ日本人が

体験したことのない時間に

時計の針は進んでいる

ような気がしている。