さっき

ツイッターで


「おちさんにとって

忘れられない日は

いつですか?」


という質問があった。


瞬間悩んだが


答えは


「毎日です。」


となった。


毎日生きていれば

色々なことがある。


竹内まりやさんの

『毎日がスペシャル』

じゃないが

毎日がかけがえのない日であり

一瞬一瞬がかけがえのない瞬間

である。


必ず

こういう

時間のことを考えていると

対になって現れるのが

死生観である。


関係ないかもしれないが


エイミー・ワインハウスが

亡くなり


伊良部投手が

自殺するなど


東日本大震災や

原発事故

セシウム牛などの

ニュースの中


こういう

人の命に拘るニュースが

突然飛び込んでくる。


こういうニュースが

飛び込んでくる度に

思うことは


「もう彼らには

どうあがいても会えない」


という事だ。


もう

エイミー・ワインハウスや

伊良部投手と

会いたくても


“絶対”


会えないのだ。


そこからいつも思うことは


「会える人には

どんどん会って

どんどん質問して行こう」


ということだ。


ただ

闇雲に会おうという事ではない。


人間出会いには

タイミングがある。


そして

会える立場であるか

ということを自問自答しながら


会いたいが会わないでおく人

もいながら


折角

会える立場にいるのだから

会ってたくさんの質問をしておこう


という相手もいる。


そこの見極めと


もっと言えば


「その機は熟しているか」


ということである。


熟してもいないのに

会っては怪我をする。


これが

おちまさとなりの


『出会い五輪の書』


である。


これもある日

本にして出す。


出したい出版社の方は

こちらへ。


エイミー・ワインハウス

伊良部投手


たちと

いつ会えたかは

わからないが


いつ会える会えないとかでなく


「もう絶対会えない」


という0の状況が

悔しい。


なぜか

ガガの活躍が化けていく度に

エイミー・ワインハウスを

思い出していた。


日本人選手が

メジャーリーグで活躍する度に

伊良部投手を思い出していた。


日本では

3万人以上の自殺者が

13年連続という

ありえない結果となっている。


エイミー・ワインハウスは

違うようだが


これから

毎年


「今年も日本の自殺者は3万人越え」


というニュースを聞く度に

伊良部投手を思い出すのだろうか。


東日本大震災で

亡くなられた方と行方不明の方を

合わせた人数以上の人が

毎年自殺しているという

この日本は今日にも

変わらなければならないことが

多そうだ。


忘れられない日は毎日である。


今を大切に生きながら

先読みして

過去を経験値として

生きて行く。


それが

当たり前だが

必要かつ重要な


「生き抜く指針」


では

ないだろうか。


おちまさと


エイミー・ワインハウスも

伊良部投手も


もしも

対談のタイミングがあったら


やはり


9割しゃべってもらう質問

し続けただろう。


御冥福をお祈りします。


現在

僕の中で

会いたい人

対談したい人


質問したい人


会わなかったら

後悔するだろう

と思っている人


は何千人もいる。


一人ずつ

対談して

質問して行く。