『日本沈没』

『復活の日』

の作者・小松左京さんが

7月26日に

亡くなられたという

報道があった。


享年80歳だった。


3.11から

ずっと思っていて

結局今日まで

書くのを忘れていたことがある。


それは


「なぜ日本は

小松左京さんに

意見を聞きに行かないのか」


ということだった。


もしかしたら

行っていたのかもしれないが


「早く御意見を伺いに行け!」


と書こう書こうと思いながら

今日に至ってしまった。


1973年に

『日本沈没』

という作品を発表し

大ヒットさせた

小松左京さんという

ある種の予言者に

次なる行動を聞きに行くべきではと

何度も書こうと思いながら

忘れてしまっていたのだ。


1973年

僕は小学生で

『ノストラダムスの大予言』

と時同じくして


『日本沈没』


というインパクトのある

タイトルが本当に怖かった。


確か

装丁は

日本地図が海に沈みかけてる

みたいな表紙だったように

記憶している。


当時

家のこたつの上には

その上巻が置いてあり

結局母親が

下巻まで到達できずにいたのか


いつまでたっても


『日本沈没』(上巻)


がこたつの上にあったので

毎日それを見る度に

怖かった。笑


僕らの世代は

どこかで本気で

ノストラダムスさんの言う通り


1999年7の月


に世界は人類は滅亡する


ということが

おぼろげながらに

未来予想図としてあった気がする。


その荒唐無稽な

大予言を裏付ける形で

リアルなディティールが書かれた


小松左京さんという人の


『日本沈没』


をはじめとする作品が

あったののではないだろうか。


もちろん一方で

『ブレードランナー』のような

未来都市も同時に想定しながら

生きているという

不思議な世代ではある。


しかし

僕が8歳の時に

『日本沈没』という早さ。


まさか

時を経て

38年後の3月11日に

その『日本沈没』を

少しでも感じるとは

想定内と言えども

そんな現実を迎えていることは

どこかで信じられない。


さらに

僕らの世代は

こうして


「来るぞ来るぞ」


と言われながら

長い月日を経て

本当に来た


という部分もあるが


今の10代や子供たちなどは

それがベーシックになっているのだから

それはそれで

絶望を感じさせてしまっているのではないか

と時々心配になってしまう。


小松左京作品として

映画化もされ

僕らの世代に衝撃を与えている

もう一つの作品が


『復活の日』


である。


『復活の日』


は実は

『日本沈没』

よりも前

1964年に書かれている

作品である。


僕が生まれる1年前である。


ストーリーは

原作を読んでもらうとしても


簡単に言えば

人類を滅亡させるぐらいの

生物兵器を運んでいる軍用機が

山中に墜落。


それをきっかけに結果

各国の核ミサイルの

自動報復装置が作動し


人類滅亡へと至る


という64年としては

誰も思いつかない

壮大な物語である。


そのウイルスから逃れ

南極大陸に辿り着いた

少人数の人類が生き残る


というような話だったと思う。


『日本沈没』も

『復活の日』も

映画化され


とちらも

子供ながらに

興奮して映画館で観た。


『復活の日』は

草刈正雄さん主演で

杖をついて南極に向かって歩き続け

太陽をバックに立ち竦むく映像が印象的だ。


今思えば邦画は

ハリウッド映画のような

壮大なストーリーに挑んでいたと言える。


そして考えれば

僕らの子供時代は

とても強迫観念にとらわれた

追い詰められた状況の作品が

多かった。


僕の人生を変えた


『ジョーズ』


という映画も

サメに追いかけられる映画なので

強迫観念である。


関係ないが

結果

僕が作る作品も

『学校へ行こう』の

『未成年の主張』も

『ガチンコ』の

『ファイトクラブ』も

『仕立屋工場』も

『百萬男』も

『世にも奇妙な物語』や

『天国に一番近い男』などの

ドラマ脚本も

強迫観念がコンセプトと

なっているものが多い。


小松左京さんという人は

ある種

遠い未来を

予言していたのだと思う。


手塚治虫さんや

小松左京さんなど

時々

自らの作品を舞台に

未来予知する方が

いるような気がする。


1964年

1973年などに


日本が沈没するとか

生物兵器がきっかけに

人類が核によって滅亡するとか

書いていることは

予言である


一般読者達は


「怖いなぁ」


とは思いながら

どこかで


「現実にはならんだろ」


とたかをくくってたはずである。


小松さん御本人には

何かが見えていたのだろう。


時を経て

2011年。


地震と津波により

天災としても

日本は本当に沈没を体験し

経済としても

ヒタヒタと

1ドル77円台が続くという

未曾有の不景気による

経済としての沈没も

今そこにある危機として

日々添い寝している。


さらに

原発事故による

放射性物質汚染の

肉や野菜など食物への

内部被爆は続き

国民は何を買えばいい

かわからないストレスを

感じながら日常を過ごしている。


そこからの

復活の日は

果たしてあるのかという

不安な日々が

リアルに続いている。


『日本沈没』からの

『復活の日』なるか。


それに対しての

指針を誰も言わない。


未来などという

大きな白地図でなく

明日あさってさえ

実はわからずに


『沈没』



『復活』


の表裏一体を

ドキドキしながら

生きているというのが


実は今の日本の現状なのでは

ないだろうか。


おちまさと


『日本沈没』


というタイトルが

好きだったということもあり


今から11年前

2000年

僕は


『日本経済これができなきゃ即沈没』

(メディアファクトリー)


という本を出している。


当時

「この日本経済が沈没する訳ないだろ。

アホか」


と書評でも書かれたこともある。


僕も

当たらないで欲しかったが


しかし現在

日本経済が逼迫しているのは

間違いない。


今の20代や10代

子供たちの未来予想図に

描かれる明るい題材は

一体何なのだろうか。


僕らの時代で言えば

海外旅行や新幹線や

高速道路など

わかりやすい

夢や希望は

一体あるのだろうか。


60年代70年代に


ディティール含め

極め細やかに

『日本沈没』

『復活の日』

を描いた小松左京さんに

たくさんの質問をしてみたかった。


また一人

こうして

大きな存在を失った。


御冥福をお祈りいたします。