6月11日になった。


今日で3ヶ月である。


何から3ヶ月かと

書かなければならないかと

心配になるぐらい

忘却ムードが否めない。


あれから3ヶ月後の実際の世界と


あの日に想像した3ヶ月後世界の


違いは


たった3ヶ月でここまで

世の中が忘却の引出しの

奥の方にしまおうとしているかのように

見えるところではないだろうか。


その結果か

3ヶ月経って


前進感というよりは

後退感を感じてしまう。


忘却しないことと

前進することは密接な関係が

あるような気がする。


そのヒントとなるものがある。


大阪市浪速区にある

1854年に起きた


「大政大津波」の碑である。


それは

簡単に言えば

大地震が起きた場合

必ず津波が襲うということを

後世に伝えようと

当時作られたものなのだが


その碑が

とても優れていると

僕が思う点が


その碑文に


「時々碑文に墨を入れて

読みやすいように伝えていってほしい」


と最後に書かれているところだ。


これは

要するに


『追憶のアップデート』


ということだろう。


普通は

悲しい記憶や

辛い経験などは

痛みを忘れていくように

人間はその記憶を

消去していく動物であるとは思う。


しかし

それが

後のまたは後世に役立つのであれば

その追憶は

ソフトウェアをアップデートするように

時々アップデートしていかなければ

ならないのではないだろうか。


大政大津波の碑を

作った人たちは

どうやったら

後世の人間に

その津波の現実や恐怖を

伝えることができるかを

相当議論したような気がする。


そこで

ブレストの末

弾き出された方法が


「時々碑文に墨を入れること」


というシステムだったのでは

なかろうか。


嘉永七年である。


157年前の

1854年に

こうして何とか

未来ここに日本に住む人たちを

一人でも救いたいという想いを

アナログながら必死に生み出し


とにかく


忘れない


ということを仕組化している。


時を経て

未来世紀ニッポン。


2011年

全てはデジタル化され

記憶はコンピューターと

インターネットがしていくれることと

なっている。


僕はこの新たな文明を

否定など全くする気はない。

もはやどっぷりと

恩恵を受けている。


だからこそ

余計どうやったら

伝えていけるかを

嘉永七年以上に考えなければ

ならないのではないだろうか。


“2011年3月11日に

東日本大震災が起きた”


「そんなこと

忘れる訳がない」


というどこかで

必ず記憶しているという奢りが

皮肉にも忘却の彼方に

葬ってしまうということが

あるような気がするのだ。


こんなブログなど

157年後にデータが残ってるとは

全く思えない。笑


しかし石碑は残る。


アナログは侮れない。


だからと言って

石碑を作ることが

2011年の正解とも限らない。


村上春樹さんの

バルセロナでのスピーチによれば

今回の大震災は

地球の自転が僅かに速まり

一日が百万分の1.8秒短くなるほどの

規模だった。


しかも

今回は天災だけではない。


僕は


『東日本大人災』


と呼んでいるが

大震災だけでなく

大人災という原発事故が起き

3ヶ月が経った今も

まだ解決の糸口もない。


もしも今

『東日本大震災の碑』

を建てるのであれば


その碑文には


「地震には津波とそして

原発事故が襲う」


と書き綴らなければならない

ぐらいだ。


それにもかかわらず

空気感だけを

3.10状態に戻そうとしている

流れが腑に落ちない。


なぜ国をあげて

毎月11日を慰霊の日にして

暫くの間は忘れないようにさせない

ぐらいのことをしないのだろうか。


それとも忘れさせたいのだろうか。


停滞しろと言ってるのではない。


むしろ前進しろと言っている。


しかし

前進するにも

流石に今回のことは

蓋をしては前進もないだろう。


例えば

福島に慰霊碑を建てて

毎月11日に

総理と東電で

その碑文に墨を入れたら

どうだろう。


忘れないで済む。


それぐらいの

追憶のアップデートは

してもいいのではないだろうか。


ゴミ箱にドラッグして消去


はしていいものと

してはまずいものがある

ような気がするのだが。


個人的には

こうして

時々墨を入れるように

ブログにでも書いていたりする。


しかし3ヶ月である。


前進もなければ

アップデートもない。


そうは言っても

不況メルトダウンだけでも

冷却しなければならないので

日々働くしかない。


おちまさと


AKB総選挙で

大島優子さんは

前田敦子さんを

「AKBの顔」

と表現した。


果たして今の

『日本の顔』は

誰なのか。


こんな激動の3ヶ月

そして4ヶ月目に

突入しようとしている中

日本の顔がないとは

何ごとか。


そして

その総理という顔は

毎回1年もったりもたなかったり

もうすぐまた変わろうとしている。


そこで提案なのだが


海外からは本当に

不思議がられているので


こんなに総理がころころ変わるなら


プロレスのマスクマンみたいに

決まりの

『日本総理マスク』

を作って

毎回総理になった人に渡して

そのマスクをかぶってもらった方が

いいのではないか。


海外メディアも

流石に覚えてくれるだろう。


嘘だけど。