被災地での

新たな問題として


『見物人』


の問題が

あげられている。


瓦礫の中

やっと開通した道路により

物資が運び込めるように

なった一方で


そこに多くの『見物人』が現われ

その車による渋滞で

行方不明者の捜索や

瓦礫撤去の妨げになり

3分で行けるところを

30分かかるという現象も

出て来ているという。


原発問題は

別問題なので

一端思考の隅に

置いておくとして


今僕らが

最も考えなければならないことは


『連鎖』


ではないだろうか。


人は善かれ悪かれ

連鎖する。


何か行動を起こせば

それはどこかで何かに

連鎖する。


善かれ方向で言えば


誰かのアートを見て

自分の中のアートが目覚め

吐き出し

そのアートを誰かが見て

その人の中のアートが目覚め

吐き出す


という物作りの連鎖のように

必ず人間の行動は

どこかの誰かに連鎖し


悪かれ方向で言えば


「赤信号みんなで渡れば怖くない」


という誰か一人が

駐車中のトラックの荷台にある

オレンジを「御自由にお取り下さい」

と勘違いし一つ取れば

それを見ていた次の誰かが

一つ取り

そしてまた次の誰かが

一つ取り

それは大きな円として

広がって行く。


連鎖は一方向の矢印ではなく

実は波紋のように広がる。


被災地に『見物』に行けば

自分が見に行っているという

一つの行動だけでなく

それは何か別のものに連鎖し

負の波紋に繋がって行く


ということが

わからないのだろうか。


この震災は

それぞれの心の中に起きる


衝動との向き合い


を常に迫られている気がする。


例えば

『被災地に行ってみたい』

という衝動が起きた場合


果たして

その衝動の理由は

その衝動を行動に移した場合


被災地にとってのメリットは

何だろか


ということを

行動に移す前に

考えるべきではないだろうか。


わかりやすい言葉で言えば


「相手の立場に立って考える」


とか


「思いやりの精神」


とか

単純なことかもしれない。


そんなシンプルなことと

この大震災は向き合わされている

ような気がする。


例えば


石原都知事は

「東京都は花見は自粛」


と言う。


しかし

その先には

労働者がいる

ことを忘れていないだろうか。


被災地に行きたい→行く

花見は不謹慎→自粛


という


衝動→行動・発言


ではなく


衝動

→その先にいる相手の立場を思考

→アイデアを生み実行


としなければ

ならないのではないだろうか。


現在

個人的衝動とか

どうでもいい。


「こうしなければ自分の気持ちが

納得できなかった」


「これをやらずには自分を

抑えきれなかった」


そんなことは

どうでもいい。


そんな個人的な衝動なんか

今回の被災地の問題に比べれば

吹けば飛ぶようなもんだ。


それは

買い占めと同じである。


ここは

試練である。


この衝動をいかに抑えるかを

試されているのではないか

という気さえする。


ここで

衝動を抑える鍛錬を

しておかなければ

これからやってくる

様々な悪環境に対応できないのでは

ないだろうか。


それにしても

東北の方々は

なんて素晴らしいんだ。


彼らは繋がりを強化し

小さなコミュニティーにより

この悪環境を笑顔で

乗り越えようとしている。


彼らの笑顔や

前向きなインタビューを見ていると

デンマークに行った時を思い出す。


デンマークの教育は

まさに『繋がり』であり

国民が感じる幸福度は

非常に高い。


一方縁起でもないが

まだ先にあると言われる

東海大地震など

東京を大地震が直撃した場合

果たして

東北の方々のように

繋がりを作れるであろうか。


ここで

衝動を抑える訓練

をしておかなければ

あっという間に


無秩序による社会的崩壊


が起きるような気がする。


それは

これまでの

買い占めが物語っている。


あんなもんじゃすまない。


「この自分の衝動は

負の波紋を生まないか」


これを考える試練。


被災地の道で

何をしに来たのかを問われると

口ごもるドライバーが多い

という報道を見た。


そして東京の

花見は本当に自粛だろうか。


東京で花見をして

お酒を飲んで欲しいという

東北の日本酒業者の動画を

YouTubeで観た。


東京の極端な自粛ムードが

仙台などをも委縮させているという

アパレルの話も聞いている。


一つの発言は

負の連鎖の波紋を生む。


冷静に今こそ

それぞれが

それぞれの行動における

連鎖と波紋を考えるべき

なのではないだろうか。


おちまさと


一方

原発である。


原発問題こそ

逆に即行動という

スピーディーな決断と判断が

要求されているにも関わらず


地震直後から

誰もが言っていたことが

今頃になって実現されている。


昨日になって出て来た

実は地震当初から

気象庁が出していた

放射能拡散予測図は

何だ。


韓国も

日本の隠蔽体質に

批判をはじめ

もはや国際問題に

発展している。


会見など表向きは

形状があるが

政府は実際

形があるのだろうか。

無脊椎動物のように

なっているのではないだろうか。


菅さんは

誰の言う事も聞かないとか

よくありがちな話になっては

いないだろうか。


もはや

政権争いなどという

『衝動』はどうでもいいのでは

ないだろうか。