前のブログで

今年の夏の電力不足

について書いたが


さっき

東京電力が

「今年の夏は15%節電要請」

ということを発表した。


実際は今年猛暑が来れば

15%節電などという

生易しい数字では語れない程の

電力不足が

やってくるのではないだろうか。


すでに現在も電力不足は

家庭の問題だけでなく

様々な工場をストップさせ

その工場がたとえ小さくても

そこが作るものがなければ

始まらないというあらゆるものへ

悪循環のピラゴラスイッチが

経済に影響を及ぼし始めている。


このまま

もしも猛暑に突入すれば

暑いとか寒いとか

そういうレベルでない問題が

目の前まで来ているような

気がする。


だから

前回書いた

『リゾートビズ』と名付けた

『仕事服革命』は

笑い事ではないのだ。


それにしても今も

僕の目の前に広がる

東京の夜景は

本当に暗闇だ。


考えてみれば

あれだけエコ活動の啓蒙でも

年間通じて一日ぐらいしか

こんなに暗い東京には

ならなかったが

やればできたという

何とも今までのエコ活動の

意識の低さまでも露呈してしまった

様な気がする。


しかし

そんな電力不足を

語っている間にも

目には見えない

放射性物質汚染は

相変わらず国民には

曖昧な情報のまま

時間だけが流れて行く。


一方これまた何となく

「4月になったから気分一新」

とか原発問題とは関係ない

暦の話で自分達を誤魔化して

多くの国民は少しずつ

平静を取り戻しているように

見える。


なぜか

元に戻るべきものと

まだ戻らなくていいものが

矛盾して戻っているようにも見え

とても今回は奇怪な現象にも

感じるのは気のせいか。


そんな中
東京退避組も

いつの間にか帰京し

普通の生活をしていたりする。


戻って来るなら

退避理由はいったい

何だったのだろうか。


今の方が

放射性物質は飛来している

かもしれないのに

退避動機

帰京動機

はどこにあるのだろうか。


彼らは

一体何を「信じた」のだろうか。


最近よく耳にする


「信じる」


という言葉の意味は

一体何なのだろうか

ということを

最近とても考えている。


信じる。


誰だって何かを信じたい。


しかし

「信じる」には


“真実の証”


があった上でのこと

ではないだろうか。


現在の

真実は

3週間以上が経ち

さらに悲惨な現実が

浮き彫りになり始めた

被災地の現状ではないだろうか。


例えば

被災地を中心とした

東北の下水の完全復旧は

数年掛かると言われている。


その為に

多くの家庭にまで

異臭がするなど

急務な対応が迫られている

現実が目の前にある。


そして

福島では

被災されて起きた

様々な理由を苦に

自殺されている方もいる。


人工透析を受けれずに

亡くなられた方もいた。


それが今の

真実である。


今まで

日本は様々な震災と

戦い復興して来た。


だから今言われている

「信じる」ということは

その日本の過去の

強さを信じるということだろう。


しかし

今回はそう容易く

「信じる」という言葉を

発して大丈夫なのだろうか

という気がしてならない。


「信じる」という言葉を信じても

負けた戦だってあった。


それは

何度も書いたが

今回は日本が成長期でも

ましてや高度経済成長期でも

バブル期でもなく


未曾有の経済危機と

少子高齢化が齎す


『衰退途上国』


となった

時期に起きたことだから

そう簡単に発していいものなのか

という不安がよぎってしまうのだ。


そして

さらに

今までにない


原発事故による

放射性物質汚染。


しかも

被災地を直撃した

過去類を見ない

巨大津波。


家族や家や職業を

奪い去るだけでなく

上にも書いたような

毎日の生活を苦しめる

生々しい爪痕の現実。


果たして

そんなに「信じる」ことは

できるだろうか。


というより

何を信じればいいのだろうか。


チェルノブイリ原発事故が

起きてから5年間

放射能汚染除去作業の

責任者を務めた

ユーリ・アンドリエフ氏の

インタビューを読んだ。


以前ブログで

僕は今回の事故を

第三機関に委ねるべき

と書いたのだが


ユーリ氏は

まずは東電を調査から外し

スペシャリストを集めて

作業にあたらせるべき

ということを語っている。


その理由は

企業はやはり

自社の利益になることを

優先して行動することが

当然なので

情報が不正確になりかねない

からということだ。


そして

当初のヘリからの放水を

無意味とコメントし


さらに

原子力政策と安全規制の

両方を同じ経産省が

務めていることにも触れ

一日も早く

独立した委員会を作るべきで

かつてソ連当局が

事故原因を隠蔽したことが

解決を遅らせたことのように

繋がりかねないと言及している。


そして

今回福島第一原発に

当初残った50名の作業員を

『フクシマ50』と呼ばれているが


彼は


「5000人は投入すべき」


とコメントしている。


またロボットの使用も

進めている。


彼の言葉だけを

それこそ


「信じる」


のは危険だ。


また4月1日


田中俊一・元日本原子力学会長をはじめ

松浦祥次郎・元原子力安全委員長

石野栞(しおり)・東京大名誉教授ら16人ら

日本の原子力研究を担って来た

専門家の方々が


「状況はかなり深刻で

広範な放射能汚染の可能性を

排除できない。

国内の知識・経験を

総動員する必要がある」


と提言を発表した

という報道を見た。


しかも

「原子力工学を

最初に専攻した世代として

利益が大きいと思って

原子力利用を推進してきた。

(今回のような事故について)

考えを突き詰め

問題解決の方法を

考えなかった」と陳謝した。


らしい。


もはや今までの

自分達が推し進めて来た

余計なプライドは捨てている。


そこには

少し『真実の証』が

見えるような気がして

上のユーリ氏とのコメントに

リンクしてしまうのは

当然ではないだろうか。


これら現場や

専門家の目からの

忌憚ない発言は

どうしても「信じる」

に近くなってしまう。


こうして大量にある

情報の中

自分として何を「信じる」かを

セレクトして

2つ以上がリンクした時

その自分の中の角度は上がる。


しかしこれは

僕のやり方であり

この2つの情報も

あくまで僕の選択なので

それも「信じる」必要はなく

むしろ疑った方がいいぐらいだ。


もしかしたら

今まで日本は

色々信じすぎて来た

とも言えるのではないだろうか。


原発神話も

アメリカのことも

平和な日々も。


一方で

13年連続

3万人の自殺者を出そうが

国は「信じろ」

「一人じゃない」

とは決して発しなかったのは

なぜだろうか。


とても心配なのは

今回の被災や原発問題も

わかりやすく

目に見えいている時はいいが


それが少し時を経て

影に隠れた

現実的な生々しい問題に

移行した時にも

それらの言葉で

現在同様

包み続ることができるのか

ということである。


自殺者が13年連続3万人を

越えようが

国をあげて「信じろ」とは

言わなかった現実がある中


これから

何年かが経ち

見えないところで

今回の震災が間接的とはいえ

それが理由で

わかりにくく困難になった場合も

「信じる」と言ってくれるのであろうか。


十数年後

なぜか甲状腺ガンなどの発病が増え

あの時の原発問題が理由ではと

疑惑が向けられた時

「因果関係は見つからなかった」

といういつものパターンには

ならないだろうか。


「信じる」


という言葉は


多分


腹を割った本音である


『真実の証』


があって初めて

起動するアプリ

ではないだろうか。


うやむやな態度なほど


「信じる」


という言葉を言われれば

言われるほど

軽くなるような気がする。


おちまさと


時同じくして

大相撲の八百長事件を

相撲協会は解決しようとしている。


果たして

本当にできるのであろうか。


本当にやるとしたら

別の機関に委ねることが

必要ではないだろうか。


今の人達だけを断罪して

解雇していくことで

本当に解決していくのだろうか。


そしてその解雇された

現役力士たちは

腹の底から納得できるのであろうか。


僕はこの

八百長問題を解決しようとする

相撲協会と

今の原発問題の解決する

政府と東電の姿が

どうしてもオーバーラップして

見えて来てしまう。


もちろん

誰だって

相撲も政府も東電も

信じたい。


しかし


『信じさせる』


にはそれ相応の

覚悟が必要なのではないだろうか。


関係ないが

今回過熱していた

募金ランキングのような世界は

孫さんの100億円で

いい意味での終止符を打ったのでは

ないだろうか。


救済は

金額だけでは語れない

というところに

今再び戻ったのではないだろうか。