3度目の

月曜日だ。


僕の住む東京から言えば

毎日「だからどうしろと?」

という放射線物質汚染に

関する報告がされている。


僕のまわりの

多くの人たちも

東京から西へ退避した

方々が多い。


だからと言って

国も都も

『東京退避組』

『東京残留組』

どちらの方がいいというような

宣言もなく


現状から言えば

もはや東京も


『自主退避』


が宣言されていると

同じようなものである。


果たしてこの状況は

これからどれぐらいの期間

続くのであろうか。


多分

被災地の方々も

今最も知りたいのは


「これはいつまで続くのか」


ということではないだろうか。


今週我慢すれば

仮設住宅に移れるのか

それとも

4月いっぱい

今の生活が続くのか

それとも

一年間避難所暮らしが

続くのかなど


アバウトでもいいから

その期間を一番

知りたいのではないだろうか。


例えば

何かのテレビ番組の収録に

出るとして

予定の時間になっても

始まる気配がなく

控室にいたとしたら


最も気になるのは


「何待ちか?」


ということである。


僕はプロデュースする場合

出演者の方々には

徹底的にこの

「何待ちか」

を伝えることにしている。


もっと言えば

具体的な理由と

ある程度の分数を付け加えて。


人間

「何待ちか」

ということと

その自分では見えない理由と

アバウトでも具体的な待ち時間を

聞けば安心するし

その時間に自分のテンションを

グランドをトンボで平らにならすように

バランスを取ることができる。


一番辛いのは

その「何待ちか」が

わからないことだ。


例えば

彼氏と待ち合わせして

時間になっても来ないとする。


しかし一本

遅刻の理由と

その大体の分数が

メールされることで

感情の起伏調整も

できるのではないだろうか。


この「何待ちか」

を知ることにより

なぜ人は気持ちを

落ち着かせることができるのか

と言えば


それは


「イメージできるから」


ではないだろうか。


「何待ちか」

の理由と時間が

人間には


「そうか。だったら

こういう時間配分でいこう」


「ここを脱したら

まずはこんなことをしよう」


というイメージが

湧きやすくなるのではないか。


それは

上っ面の優しさや

抽象的な気持ちのない言葉

では決してイメージは湧かない。


そこは「何待ちか」の

具体的理由とアバウトでも時間

が分かった時に

人間はそれを一筋の光と感じ

そこへ前進できるのでは

ないだろうか。


この震災後

被災地の方にも

被災地以外の日本人にも

最も大切なのは


「イメージすること」


のような気がしている。


大前提として

『未曾有の経済不況』

にさらに直撃した

『未曾有の大震災』

そして

『未曾有の原発放射能汚染』

にさらされている今


僕らに残されたのは


「イメージすること」


ではないだろうか。


敬愛するウォルト・ディズニーは

「イマジネーションは無限だ」

と言っている。


イマジネーションだけは

誰にも邪魔されない。


そして

結局人類は

イマジネーションに引っ張られ

それをベクトルに進んで行く。


それがネガティブなら

ネガティブに進むだろうし

ポジティブならポジティブに

進むだろう。


被災地

被災者の方々に

僕が知っている中では

なかなか国は


「何待ちか」


を具体的理由

そして具体的時間を

伝えていない気がする。


東京都も僕らに対して

原発放射線物質汚染で


「何待ちか」


のヒントも言ってくれない。


特に被災地の方は

日々切迫した寒さや

日常の披露やストレスが

澱のようにたまっているはずである。


ジョン・レノンの

『イマジン』じゃないが

今被災者の方を始め

僕ら日本人を未来に

一歩進ませる武器は


『イメージすること』


それも

地に足のついた

具体的な理由と時間を

起点としたイメージ。


こういう理由で

何日後になれば

家に帰れる


仮設住宅に移れる


お風呂に入れる


放射線の心配が減る


などから


被災者の方々で言えば


何日後になれば

仕事ができる


なども未来とイメージする為の

一つではないだろうか。


しかし

仕事場であった

漁港が壊滅されてしまった

方々の仕事は

いつ頃どうするのか


放射線汚染を受けてしまった

農家はいつどういう測定により

いつ頃どうするのか


などもとても

未来をイメージするときに

重要となってくるのではないか。


また

ローンが残っている家が

津波で流されてしまった

などという場合の援助などは

いつ頃どんな風に進むのか


など想像するだけで

キリがなく

それは

「みんながんばろう」

みたいな抽象的な素材では

なかなか

未来のイメージはできない

のではないだろうか。


国も県も都も

国民とコミュニケーションを

深めながら


「何待ちか」


をアバウトでもいいから

大至急伝えながら進めて欲しい。


番組やイベントなどで

出演者を待たす時でも

もちろん「何待ちか」が

何度も変更・延長して

何度も

「すいません

先程の待ちの件なんですが」

と訂正を繰り返すケースだってある。


それは

デートの待ち合わせだって

何度もメールで

「ごめん、さらに10分遅れる」

ということだってあるだろう。


そういう時に

相手の怒りを買わないように

するには


『伝え方』



『コミュニケーション』


しかない。


それが

さらに怒りを買うような

一方的な紋切り型で言われれば

もめろことになるかもしれない。


この間の東京都のように

水道水摂取するな!

翌日

解除!

みたいな昭和の雷親父的

コミュニケーションでは

未来のイメージなど

わかないのではないだろうか。


そこが

お互いの信頼関係があれば

アバウトだろうと

何度か変更が繰り返されようと

「何待ちか」

を伝えてもらえれば


イメージを食べながら

生きていけることは

少なからずあるのではないだろうか。


おちまさと


時はどんどん進んでいる。


僕が中学生の時に

始まった金八先生が

さっき卒業していた。


一方

山ちゃんは今年もやめへん

かった。


もうすぐ

朝が来れば

また未体験の月曜日が

やって来る。


今週もめちゃめちゃ働く。


最後に

僕も連載させていただいている

今発売中の『週刊朝日』で

以前別の雑誌で対談も

させていただいた

上杉隆さんたちの

特集に書かれていた


忌野清志郎さんが

1988年に発表した

『ラブ・ミー・テンダー』

の日本語歌詞替え歌の歌詞を

僕も載せさせていただこうと

思います。



何言ってんだー

ふざけんじゃねー

核などいらねえ


何言ってんだー

よせよ

だませやしねぇ


放射能はいらねえ

牛乳を飲みてえ


何やってんだー

税金かえせ

目を覚ましな


何やってんだー

偉そうに世界の真ん中で


Oh my darling I love you


長生きしてえな



忌野清志郎さんも

僕が中学生の時から憧れ

一人で武道館などに

何度も観に行った

尊敬する方の一人です。


清志郎さんの

イメージの中では

88年にこの歌詞を

書かせる衝動があったのでしょう。


しかし

これは当時

発売中止となりました。


今となっては

最後の


長生きしてえな


がとても

いろいろな意味で

胸の奥を熱くさせます。


僕らも

イメージし続けるしか

ないのではないでしょうか。


国は県は都は

その為の具体的な

情報をできるだけ

開示していただきたいと

願います。