あまりに

突然だった。


東京都が発表した

乳幼児の水道水摂取制限。


大人には

生活水として

問題ないということなので

乳幼児がいない家庭には

関係ないかも知れないが


我が家はまさに21日で

10ヶ月になったばかりの

娘がいる。


正直どんなニュースよりも

衝撃的だった。


空気の放射性物質汚染

だけでなく

電力に続き

水という

強烈なインフラ規制は

正直打つ手がない。


乳幼児は何だかんだと

水が必要だ。


考えてみれば

非常事態な訳で

いつ言われようが

突然であることは

間違いないのだが


あまりにグラデーションも

予告もなくの発表は

乳幼児のいる家庭を

少なからず困惑させる。


特に買い占め問題がある中

こんなデリカシーのない発表は

それを煽り

多分もう店頭から水はない。


少子化対策を謳い

買い占めの禁止を片方で

言っておきながら

結果こんな紋切り型の発表では

逆少子化対策であり

パニックを誘ってるのかとさえ

思ってしまう。


自分のことは置いておいて

家族のことは

何があっても

守らねばならない。


大人よりも

放射性物質の影響を

受けやすいから

乳幼児だけ制限が入る訳で

赤ちゃんがいる家庭が

デリケートになるのは当然だ。


しかし放射性物質が

暫定基準値の2倍の数値で

乳幼児は水道水摂取を

控えるようにと発表しておきながら


完全に使用するなとも言わない。


この


『国家的ツンデレ状態』


がとても精神的疲労を

困憊させているのではないか。


大地震と津波における

被災者支援。


これは急務である。


そして


原発爆発事故における

放射性物質汚染問題。


こちらも急務である。


今たった一言で

言うのであれば


「本当のことだけを言って欲しい」


ということだけではないか。


「じゃあ誰が言えば信じるのか」


という問題もある。


「もうすでに様々な機関が

独自に発表している資料で

個人個人が分析すればいい」


ということも分かる。


しかしここはどうだろうか。


やはり

この問題は

日本国の問題で

どう国が発表しても

煮え切らずに見えるので


『海外の第三機関』


のプロ集団に調査してもらい

発表してもらったらどうだろうか。


今日の夕方までは

独自判断とも思っていたが

不謹慎だと言われようが

娘に直接被害があるかも

となってくれば話は別。


国がハッキリしないから


現在ある種


『一億総風説の流布状態』


しかもだ。


突然の発表をしておきながら

東京都が恩着せがましく

出して来た対処案が


『乳幼児一人に550mlの

ペットボトルを3本配布』


そうね。

550mlの

ペットボトル3本あれば十分

あるかボケ!


すいません。

取り乱しました。


これを取りに

それぞれが

それぞれの

役所に来いという訳か。


これ予算的には

ものすごいぞ。


現在の使用制限区域の

乳幼児は8万人。

ということは全部で24万本。


一本いくらか知らないが

この予算の使い方

他に何かないのだろうか。


これって

何かに似てると思ったら

あの最低企画


『定額給付金』


に似てないか。


いや

配らないよりはいい。


しかし

予算で水買って

平均的に配るというのが

いかがなものか。


一方もう一つの視点で言えば


あれだけ

オリンピック招致には

思い切り金かけて落選して


この異常事態に

水3本。(550ml)


到底


胃を痛めて考え抜いた策


とは思えなくて当然ではないか。


こちらも

考え抜いた策か?

と疑ってしまうのが


昨日発表された


『東京湾大華火祭』開催中止。


夏の話ですよ。

8月13日予定だ。


もちろん

私もイベントプロデューサーでも

あるので

スタンバイ期間の話は

わかる。


それにしても

果たして「やる」か「やらないか」

という二元論の問題なのだろうか。


これだけ

経済も精神的にも

暗澹たる状況の中

花火大会も不謹慎なのだろうか。


花火は本来

鎮魂の意味も

あるのではないだろうか。


中止という発想に至る

コンサルのファクターは

簡単に100あげれる。


それはここでは

割愛するとして


なぜ東北の方を

御招待するとか

東北の花火工場しか使わないとか


もっと言えば


『一発しかあげない』


でもいいのではないだろうか。


何十万人が集まり

夜店などで精神的解放をして


一発だけを見守る鎮魂花火


だってやる方が意味がある

のではないのだろうか。


彼と花火大会に行くために

美容室に行き浴衣を買い

外食をして

何万組もの恋人達が集まる。


これだけだって

経済効果はある。


なぜ僕がこれを書くかというと

前にも書いたが


人間は連鎖する


ということだ。


この『東京湾大華火祭』は

夏の大イベントの象徴なので

これが中止となれば

一気に右へ倣えと

シンボリックなイベントは

中止に追い込まれて行く

可能性があるのではないだろうか。


その連鎖が生み出す

負の経済効果と

それを目標に働いている

労働者たちのモチベーション低下は

計り知れないような気がする。


この


『中止こそ誠意』


のような風潮が時流になるのは

危険であるのではないか。


それも

胃を痛めて考え抜かれず

短絡的に弾き出された結果である

としたらどうだろうか。


プロデュースとは視点変えである。


縮小上等。

企画変更上等。


実行をプライオリティにおいた場合

凹んだ部分を他のベクトルで埋める

面積操作は企画とプロデュースで

いかようにでもなる。


それが胃を痛めるまで考えたか

ということです。


だから

中止に至った会議の

中央区の会議室のホワイトボードを

見てみたい。


2行しか書いてなかったら

中央区や都民は怒ればいい。


最強のリスクヘッジは中止である。


例えば

誰かがコンサルとして

花火大会をやるべきかやらないべきか

相談を受ければ

その人に企画力がなければ

自分のリスクヘッジも考え

あっけなく

中止を選択するだろう。


しかし

やらないことで

逃すリターンもある。


しかも

今回は他のイベントへの

波及効果が大きい。


それにしても

昨日の花火大会中止発表と

今日の水道水摂取制限の発表は

因果関係はないのだろうか。


『疑心暗鬼』はよくないと

以前に書いておきながら

こうして自分も疑心暗鬼

になっている。


水問題も正直

不安だし

立ち向かわなければならない。


しかし

短絡的な中止の流れが

引き起こす負のムードも

考えなければならない。


国は本当のことを

言い続けるしかない。


もはや

「王様は裸だ!」

と言った少年のように

言うしかない。


毎日

時限爆弾の

赤の線か青の線

どっちを切るかの選択に

迫られるような


予断を許さない状況は

続いていく。


おちまさと


今回は規格外の

常識では太刀打ちできない

未曾有の災害が起きている。


大地震

津波のあとに待っていたのは


目に見えない

放射能の恐怖。


だからこそ

こちらも既成概念ではない

対処をしていかなければ

ならないのではないだろうか。


そんな中

誤解を恐れず書けば

競うように発表される募金額や

今まで通りの災害対処に

違和感を感じはしないだろうか。


これから

日本にとって放射能は持病のように

長きに渡り付き合っていかなければ

ならないことになったようだ。


被災者の方々を中心に

かなりの長期救済になる。


それこそ

今年中止したからと言って

来年は元に戻っているという話でも

なくなって来ている。


政府は

強烈なリーダーシップが

望まれる。


菅さんは

どこにいったのか。

毎日定時に生会見して

国民の気持ちを平常心に

できるだけ持って行くコメントを

し続けたらどうか。


今日も3号機から

黒煙があがった。


どう考えても不安になる。


中央区は

もう一度考え直す余地は

ないのか。

瞬間瞬間

疑問疑問

である。


http://www.metro.tokyo.jp/SUB/EQ2011/DATA/20110323.pdf


http://www.city.chuo.lg.jp/kurasi/komyunitei/hanabi24/index.html