今僕の目の前には

東京タワーさえも消灯し

漆黒の闇と化した

沈黙の東京がある。


45年

東京に住んで

こんな暗い東京を

見るのも初めてだ。


この数日間の

混沌とした東京を

見ていると


スティーブン・キング原作の

映画『ミスト』を思い出した。


あるアメリカの田舎街に

夜中激しい落雷が続き

嵐が過ぎ去った朝

街に一軒しかない

スーパーマーケットに

街の人間が買い物に集まる。


暫くすると

深く濃い霧が立ち込め

お店を完全に包み込む。


そこに1人の男が

鼻血を流しながら

飛び込んでくる。


そして男は言う。


「あの霧の中に”何か”いる」


このスーパーマーケットは

今の東京の縮図であるような

気がする。


そこから

そのスーパーマーケットに

閉じ込められた人間達は

様々な意見で争いを始め


自分だけは助かりたい

と勝手な行動をする人間や


根拠のない噂を広める人間


また

勝手な想像で他の人を洗脳し

新たな秩序を作ろうとする人間


などが現われ

お互いがお互いを

疑い始めるという内容である。


そこに横たわっている

一つの言葉は


『疑心暗鬼』


である。


『疑心暗鬼』とは

仏教からの言葉で

簡単に言えば


”疑う心の暗い闇には鬼を見る”


という意味だ。


誰もが人を

疑い始めれば

暗闇のような心になり

鬼が現われるという事だ。


今の東京は

節電における暗闇だけでなく

この『疑心暗鬼』の暗闇が

広がっている気がしてならない。


『疑心暗鬼』になった人間は

すでに3.11直後に

それをチェーンメールで

人に回していた。


「東京に外出禁止令・・・かも。

偉い人から聞いた・・・ような。

買いだめせよ・・・みたいな。」


というものだ。


しかし彼らには悪気がない。

ここがまた逆に罪を重くする。


彼らは

その自分の言葉が

まさかの事態を引き起こしていくとは

全く予想していない。


「買いだめ」

「東京から物がなくなる」

「地方から取り寄せる」

「流通が突然混雑する」

「被災地への流通の邪魔をする」

「被災者の方に物が届きにくくなる」


この『負のピタゴラスイッチ』が

起きるとわかっていたら

彼らはチェーンメールを

できたであろうか。


しかし

彼らは

その結果

食料が間に合わず

苦しい悲鳴をあげている

被災者の方々のニュースを見て

「酷い!」と

悲しんでいるという

最も身勝手なこととなっている

ように見える。


”インスタントな正義感は

人の命を奪う”


可能性があるという事も

肝に銘じた方がいい

気がする。


チェーンメールだけではない。

無責任なネットでの拡散や

専門家でもないのに

知らないことまで

ブログに書き始める人なども

同じ事なのではないだろうか。


今回の敵は

今までの敵とは違う。


知らない人間は

無闇に語らない


ようにしないと

ならないのではないだろうか。


物資が届きにくい理由に

「放射線の恐怖」

を素人が勝手に煽っている

ことも一つにあるような気がする。


それが証拠に

もはや福島への宅配を

断る業者も現れているらしい。


人間は連鎖する。


自分では悪気なく

自分の中に生まれた

『疑心暗鬼』を放出して

自分の心は落ち着いたかも

知れないが

それは負のスパイラルとして

連鎖する事があるのだ。


今回の敵・放射線は

『宇宙戦争』か

『クローバーフィールド』か

今となっては

得体の知れない

一般の人間では太刀打ちできない

ものである。


知らなくて

分からなくて当然。


そこを


「語るな危険。」


妻が昨日ポツリと言った

一言が耳から離れない。


「何で被災地では分け合ってるのに

東京では取りあってるんだろう」


東京は何をしてるんだろう。


僕は0歳から今日まで

東京に暮らし

東京は自分にとっては特別で

好きな街だ。


しかし

今東京は

『疑心暗鬼』の闇に

完全に飲みこまれ

時間を停止してしまっている。


こんなのは東京じゃない。


昼間は

大袈裟に言えば

殆どの企業が機能を止め

まるでゴーストタウン化している。


それも全て

風評からの『疑心暗鬼』が

生んでいるように見えて仕方ない。


被災しなかった僕らは

被災した方々が帰って来る場所を

確保し続けるのが使命ではないのか。


どこの世界に

車から飛び降りる

ドライバーがいるだろうか。


僕らは働き

経済を運転し続けなければ

ならない。


しかし

株価は下落し

為替は1ドル76円台に

突入した。


これは事実である。


事実に『疑心暗鬼』を

生む必要はない。


これは事実なのだから

チェーンメールで回しても

ブログで書いてもいい。


ただ


地震がなぜ起こるのか


地震によりなぜ

原発事故が起きるのか


そもそも原子力が発電を

起こすのか


なぜ原発は危険を伴うのか


なぜ放射線は人間に害があるのか


その害とは何なのか


ここを知らずに

全てすっ飛ばして


「やばいよ」


とはいかがなものか。


なぜなら

今回の敵は


本当にやばい


からだ。


僕は今回の事で

正直ここまで

東京の電力を

福島第一原発に

頼っていたとは

思っていなかった。


ここまでの節電に

直撃するとは

思っていなかった。


知らないことは

知らないでいい。


知らないことを

すっ飛ばすから

疑う心に鬼が生まれる

のではないだろうか。


特に影響力のある方々は

本当に詳しくないのであれば

ブログなどで専門的な事は

書かない方がいい気がする。


理念や想いはいいが

その先は今回は注意が必要

であるのではないか。


なぜなら

本人が悪気ないところで

負の連鎖を生むケースが

あるかもしれないからだ。


今日

ある番組を観ていたら

中継で被災者の方に直接

何度もスタジオから


「がんばって!」


と言っている方がいた。


この言葉は

本当に適切なのであろうか。


今回は

ただでさえ

史上最大の地震と

津波を体験し

激寒の中

物資が少ないなか

避難生活をしつつ


さらに


いつ

起きるかわからない

大地震と

目の見えない放射線と

戦っているのだ。


不安と恐怖が生む

まさに自分の中の

『疑心暗鬼』も敵なのだ。


それに対し

どうがんばるのだ。


気持ちはわかる。


しかし

軽々しく

「がんばれ」という言葉は

どうしようもない時

さらに落ち込ませる事だってある。


大手術に向かうベッドで

「がんばって」

と言われても

がんばるのは医者だし

どうすればいいのか

と同じである。


実際

言われた被災者の方は

戸惑っていた。


こういう

一つの言葉だって

今回は慎重にせねば

ならないのではないか。


ここのポイントに

前回書いた


『不謹慎』のボーダー


が関係してくる。


相変わらず

その境界線は

誰も語らず

曖昧にされている。


被災地の中学校の

卒業式のために

ずっと練習して来た合唱を

「不謹慎だから中止」

という学校もあるらしい。


子供同士で爆笑していたら

「不謹慎だから笑わないの」

と怒る小学校もあるらしい。


完全な履き違いではないか。


それはそれ。

これはこれ。


僕ら子供の頃

親の世代は戦争体験をしていて

妙に『不謹慎』に敏感な教育を

してきたという面はある気がする。


だから

その子供世代である人間が

教師になれば自然と

そうなるのかもしれない。


教師たちは

今一度考え抜かねばらない。


何が不謹慎で

何が不謹慎じゃないか


の新しい基準を

勇気を持って打ち出さねば

子供達は疲弊する気がする。


後で撤回、陳謝したが

石原都知事の


「津波は天罰」


は不謹慎の例としては

使えるのではないか。


『不謹慎』の基準が曖昧だから

『疑心暗鬼』を生み


結果


被災地に物資が届かない


こともあるではないか。


今日

第3原発に

警視庁の機動隊が

放水車で50メートルまで近付き

放水していた。


もちろん

放射線防護服を着てと

報道されていたが

20キロ内危険地域

と言われている場所に

50メートルまで近付いている

彼らの無事を本当に祈りたい。

とても過酷かつ勇敢な仕事だ。

彼らにも家族がいることを考えると

胸が詰まる。


しかし

今の東京では

どこか

「早く誰か何とかしろよ」

としか思ってない空気もある

ように感じられる。


『疑心暗鬼』とは

流石に心に鬼が住むだけある。


恐ろしい。


被災者の方々の

インタビューを見ると

「ピンチをチャンスに変えたい」

と今まで忘れていた

コミュニティなどが生まれたなど

前向きである。


一方

首都停止している東京は


「ピンチをピンチにしている」


だけではないか。


ヒロイズムに酔っている時間や

終わった感に浸っている暇などない。


ただ僕は

地震が起きる前と同じように

働いて休めばいいと思っている。


明日働けば

三連休だ。


僕は三連休は思いっきり休む。


今まで通り家族で

出掛けるであろう。


休日に

休むことは

『不謹慎』ではない。


それさえも

『不謹慎』ムードがあるが


これだけは

基準をきめてもいいのでは

ないだろうか。


働いて

働いて

休んでいくことが

『疑心暗鬼』を御祓いする

一番の方法のような気がする。


首都再始動。


おちまさと


3月12日

今年は

うちの先生(チワワの名前)の

誕生日もブログで

まさに自主規制で

祝えなかった。


そして

3月14日

ホワイトデーは

日本中沈黙していた。


しかし

ホワイトデーは

本来

大切な人との愛を深める日で

考えようでは

まさに今こそ必要な日

だったのではないだろうか。


被災地でなくても

被災地でも

大切な人を改めて大切と

言葉に出して言う事が

救済に繋がるのではないだろうか。


ホワイトデー=不謹慎


と迷いもなく

自粛ムードだったが

よく考えれば

今こそだったのではないか


と一呼吸考えるのも

大切かも知れない。


今回

『疑心暗鬼』のことを

書いたが

報道やネットの情報や

知り合いからの噂は

それこそ『疑問』を持ち

徹底的な精査をして

最後は自分を信じるべきでは

ないか。


人を疑うのでなく

全ての情報に対し

『疑問』から入る場合には

鬼は現われない

かも知れない。