いま冷静に

振り返れば

あの異様な

過剰対応と

過熱報道は


一体なんだったのか。


もちろん


『京都大学の

携帯カンニング事件』


のことである。


事の経緯や

色んな意見や

僕の最初の意見は

もう先日書いたので

省くとして


この事件をきっかけに

今後大学側の

大人たちが躍起になるのは


”来年試験会場に

いかに携帯電話を

持ち込ませないか”


とか


”受験会場を圏外にする策”


などではないか。


そんな事は

時間の無駄ではないだろうか。


そんな事をしても

携帯を持ち込もうという受験生は

持ち込むだろうし

圏外にしたって

その抜け道を

考える受験生は考える

気がする。


そのイタチごっこは

昔の

海外の映画でも

日本のドラマでも

カンニングというものは

そういうものてあった。


しかし

そういう映画では

スパイ映画のように

”消えるペン”とか

”溶けるカンニングペーパー”

など多くは

化学的な世界だったが


それが

時を経て

実際の未来は


”通信機器”


が主役になろうとは

誰も思っていなかったはず。


そんな通信機器である

携帯電話対策を

来年の受験から

考えねばと頭を痛めている

学校も多いかと思うが


そこに悩むのならば


ここはどうだろう


来年から


『携帯持ち込み受験』


を開始してみては

いかがだろうか。


もはや

受験の先にある社会という

コンクリートジャングルでは

携帯は誰もが持つ必需品。


そして

その携帯やPCは

『検索』を始め

『twitter』や

Q&AサイトやSNSで

第三者と繋がり

いつ何時でも

あらゆる情報が引き出せる。


今まで

人間が記憶するか

国会図書館で調べるか

専門家に聞かなければ

わからなかったことが

今は簡単に入手する事が

できる。


ということは

今までの

『記憶型受験』

の時代は終わり


その携帯やPCで

簡単に誰もが入手できる

情報をいかに使うかという

『応用型受験』

に変える時がやって来た

のではないだろうか。


何でもかんでも

携帯やPCに頼れ

ということではない。


ましてや

携帯カンニングを

推奨しているのでもない。


社会に出て

どうせ使うものであれば

それを武器に戦う受験に

変化してもいいてのではないか

ということだ。


そして

持ち込んだ携帯やPCを

使う上での

”新たなルール”は

作ればいいのではないか。


「検索サイトはOKだが

SNSやQ&Aサイトで

外部と繋がるのは禁止」


とか。


でももはや

それもおかしな話で


『クイズミリオネア』

のように

ライフラインの

オーディエンスとして

世界中のネット住人達を

縦横無尽に使い放題でも

かまわないという


そういう

現代の社会を生き抜く

サバイバルできる人間に

なるような


”新たな内容の試験”


を考えればいいだけでは

ないだろうか。


『クイズミリオネア』

だって

オーディエンスに聞いたって

ちんぷんかんぷんな

難問の方が多い訳で


試験問題を作る側も

携帯やPCを持ち込むのだから

相当難しい問題にすればいい。


時代は

激変しているのに

あまりに旧態依然とした

ものは疑った方がいい。


受験。

国会。

霞ヶ関。

相撲協会。

などなど。


ルイ・ヴィトンを擁する

LVMHがブルガリを買収する

時代であり


イチローさんが

電子書籍発売の

キャンペーンで

ファンの質問を

twitterで募集し

それに答える時代

なのだ。


先端を突っ走る人たちは

どんどん新たなものを

取り入れ

常に変化している。


それにも関らず

最も変わらなければならない

分野が変わらないことが多い。


「教育とは生き抜く力を

教えること」


だと僕は考えている。


まさに

その時代に適応すべき

分野でなくてはならない

気がするのだが。


おちまさと


今日

厚生省が行うと言っていた

専門家会議はどうなったのか。

まだ厚生省HPトップには

出ていない。


しかし

厚生省は

主婦の年金切り替え漏れ問題も

「正直者がバカを見る状態」が発覚して

大問題に発展しそうで

こちらも注目だが


その間に

予防接種問題は

どうなっていくんだろう。


年金問題と同様に

たくさん報道して欲しい。


もしも

官僚の関係者が

ハイテクカンニングしても

今回と同じ時間と熱で

報道したのだろうか。


報道は平等か。


こんな心配って

もはやどこかの隣国と

大して変わらないのではないか。


そこも

変わらなければならない

旧態依然の場所かも知れない。


一方

どんどん進化する

LVMH。


LVMHがブルガリ買収で

思ったことは


こういう時代は

全てが大きな組織に

吸収されていくなぁと思い

その一つになることの是非を

いろいろ思ったのと


あとは

コングロマリットについて。


僕はもしかしたら

『一人コングロマリット』

でいたいと思っている

気がする。


これは

また書こう。