物が生まれるには

理由がある。


そして


「それはなぜ誕生したのか」


という


そもそもの理由に

時々立ち返る事が

とても重要な気がする。


そして

その

そもそもの誕生理由は

やはり

さすがに

そもそもの

きっかけだけあって


強い。


何でもいいのだが

例えば

テレビという電気製品

で言えば

そもそもは


「遠くの出来事を

家に居ながらにして

観る事が出来る」


ために

作られた

ものである。


だから

古くは

アポロ月面着陸や

ケネディ暗殺

を始め

遥か遠くの出来事を

家に居ながらにして観れ

時代の証人になれる


『リアルどこでもドア』


として

誕生した訳だ。


その本質は

時を経ても

やはり変わらない。


例えば

昨日の

日韓戦。


まさに


遠くの出来事を

家に居ながらにして

観る事ができた


訳だ。


結果

やはり

34.9%

という結果を出す。


もちろん

日本代表戦

と言う事や

韓国戦という事

勝てば決勝進出

という事など

ファクターは

たくさんあるのだが


やはり

テレビという電気製品が

生まれた

そもそもの理由を

素直に使っているから

という事が

大きいのではないか。


そもそもは強い。


しかし

どんなものでも

歴史が積み重ねられて行くと

その使用法も

変わって行く。


遠くで起きた出来事

だけでなく

様々なコンテンツも

観れる電気製品に

変貌して来た訳だ。


現在で言えば

『ネットテレビ』の普及が伸び

テレビは

あくまでもモニターになり

まさに遠くで起きた出来事を

観たりしながら

YouTubeを観たり

知りたい事をググったり

SNSやECやを楽しんだり

していくこととなりそうだ。


もはや

テレビなのか

テレビが観れるPCなのかは

よくわからなくなっていく

のかもしれないが

さらにこれから

どんどん

本来のテレビという受像機

とは別の姿へと進化していく

はずだ。


そんな時こそ

時々


「テレビって

そもそも

何で生まれたんだっけ?」


と考えると

その物の本質を

思い出す事が出来る。


これは

何にでも言える。


進化や変化を

否定しているのではない。


進化や変化を肯定している

からこそ


超時々でいいから


そもそも論


に立ち返る事が

大切な気がする。


携帯電話ってそもそも

何で生まれたんだっけ?


そもそも

電話は何で

生まれたんだっけ?


製品だけでなく

もっと言えば


そもそも音楽って

何で生まれたんだっけ?


映画ってそもそも

どうして誕生したんだっけ?


決して

両方とも

そもそも

金儲けだけで

生まれて来たはずでは

ないはずだ。


世の中に誕生した物は

時代と共に変化するが

必ずや何か強い宿命

を持って生まれたはず。


しつこいが

そこは

やっぱり強い。


そこに

時々立ち返らないと

そのそもそもの理由に

しっぺ返しされる。


わかりやすく言えば

携帯を金鎚がわりに

使ったら壊れる。

なぜなら

携帯は別の宿命を持って

生まれて来ているから。


熱い電球に

しゃぶしゃぶ用の牛肉を

貼って熱し食べたら

食べれるだろうが

電球はそもそも

部屋を照らすために

生まれて来ているので

そこには敵わないように。


今の二つの例えは

忘れて下さい。笑


何にせよ

誰かが発明した物の

御裾分けを使わせて

いただいているだけなのに


人間は図々しいから

いつの間にか

自分が考えた物だと

思い始め

それが生まれた理由など

どこかに忘れてしまい

その物の本質を見失う。


これパターン。


このパターンは

負のスパイラルとなって行く。


そのスパイラルを

止めるためには

そもそもの誕生理由を

謙虚に時々

見つめ直すことが

大切なのでは

ないだろうか。


おちまさと


サンドイッチって

サンドイッチ伯爵かなんかが

チェスかなんかやりながら

食べる為に

手を汚さずに食べれるものは

と考えたんでしょ?

誰に聞いてんだか

わかんないけど。笑


スマートに

やりたかった訳だ。


だから

決して

料理をさぼるために

パンで何か挟んで食べる

為ではない。


この例えも忘れていいです。笑


『まんがはじめて物語』

ってアニメがあって

いろいろなものが

そもそもなぜ誕生したか

をやってたなぁ。


あれ好きだった。


物にも

薬のように

処方箋がある。


処方箋は

やはり読まないと

効かない。


本が電子書籍化に

進化を遂げている。


僕はこれはある種

そもそも生まれた理由を

そんなに外していない

気がする。


本はなぜ生まれたか

知らないが

多分

教育とか

勉強とか

あとは

自分の意志や

自分の物語を

伝える道具

ということではないのだろうか。


だとすれば

それが

電子化という進化は

とても素直な現象な気もする。


「でもやっぱり

本は紙をめくって読まなきゃ」


というのは

僕もわかる。


しかし

それは

もはや


趣味


の世界に入る気もする。


そもそもの誕生理由が

守られているのであれば

それは当たる可能性が高い。


そうやって

このそもそもに立ち返ることは

使えるのではないだろうか。