何でもかんでも

国民は

国に頼り過ぎだ

という意見がある。


確かに

そうかも知れない。


「国が何もしてくれない」

「政治が悪い」


そんな事

言ってる事にも

飽きたのではないか。


もう国に

頼る時代は

終わったのかもしれない。


例えば

名ばかりの少子化対策が

叫ばれている。


少子化対策を

本気で取り掛かるのであれば


多分

細かいディティールが

重要となって来るのではないか。


しかし

国は

細かいディティールが

一番の苦手項目だ。


例えば

お約束のように

誰もが

「出産と子育ては大変」

ともはや

洗脳というか

すり込まれて

マインドコントロール

されている。


確かに

どちらも

大変な事だ。


話はそれるが

個人的には

奥さんたちの

子育てや家事などに

比べれば

旦那が外でして来る仕事など

かなりみみっちいもの

だと思っている。


たまたま

資本主義という

ルールの中で生きているので

外でしてきた仕事が

お札に変わるように

なっているから

外の仕事が大きく

見えたりするかもしれないが

それは

勘違いである。


別に僕は

フェミニストじゃないが

資本主義だからだけで

お札にならない仕事の方が

崇高で大きいものが殆どだと

思う。


しかし

だからと言って

あまりに

出産や子育てが大変

という呪縛から解かれなければ

少子化対策など

始まらないのではないか。


普通に考えれば


「そんなに大変なら辞めよう」


となるのが当たり前。


何度も言うが

もちろん大変だし

それに比べれば

外での旦那の仕事なんて

ちっぽけなものなのだが

それでも

あまりに

そういう

既成概念を作り続けては

何も変わらないと思う。


何だって

人それぞれだ。


既成概念なんて

誰かが作った

インチキなもの。


だから

絶対に

既成概念を

押し売りしてはならない。


人によっては

楽しくたっていい。


ていうか

普通でいい。


例えば

最近

ピアニストが少なくなって

しまった

と国が


少ピアニスト対策


を始め

ピアニストを

増やそうとしている中


ピアノを習いたい

と思って始めた子供がいても

ピアノの先生に

「ピアノは難しいもの」

「ピアノは楽しんではいけない」

「そんな気持ちじゃ鍵盤を触る

資格はない」

などと言われたり

手首をつかまれねじられたり

棒で叩かれたりしたら


ピアニストになりたい

なんて人は増える訳なく


しかも

それが

一般化され

一般の親たちも

必要以上に


「ピアノは大変よ」

「ピアノは苦しいもの」


「ピアノは楽しんではいけないの」


となったら

少ピアニスト対策は

対策になるはずもない。


これこそが

既成概念の押し売りである。


だって

もしかしたら

その子はピアノの天才かも

しれないじゃないか。


既成概念を基準にすると

天才さえもつぶす事がある。


自分の価値観で

「大変」

だとしても

それは隣の家では

「大変ではない」

かも知れないという事を

覚えておかないと


そういう


細かいディティール


にこだわって

いかないと

少子化対策なんて

対策にならない。


高校野球で

実は150キロとか

ガンガン投げれる高校生が

まわりの既成概念に

つぶされて

プロに行く前に

野球ができなくなったり

する事が多いという事を

よく聞く。


この時

既成概念を振りかざして

つぶす側は

自分がうまくいかなかった事

その

自分ルールの押し売り

になっている。


「こんなにすごい自分でも

難しかったんだから

お前も難しいはずだ」


それは違う。


人はそれぞれであり

価値観もルールも

違っていていい。


国には頼っては

いけないとは知りながら


もし国が

例えば少子化対策でも

何対策でも

本気でやろうと

思うのであれば


その時は


「既成概念の押し売りを禁止」


するところから

始めるべきだ。


おちまさと


ツイッターでも

書いたが

本日無事退院。


6日前から

二人で病院に入って

6日後には

三人で帰って来た。


とても

貴重な

体験だったし


楽しかった。


これは

誰の既成概念でも

否定できない。