朝青龍が


引退した。




「晴れたような気持ちだ」


とコメントしたようだが


相撲以外の事で


いろんな事が


ありすぎて


本人もいい加減


疲れてしまった


のかもしれない。




2年前ぐらいに


国技館に


相撲観戦に


行ったが




客目線で言えば


朝青龍のみが


背中からも


全身闘争本能の


オーラを発していた


のを記憶している。




いろんな事があったが


ただ


今日現在の相撲界


客目線で言えば


朝青龍のいない場所は


あんこのないたいやき


というか


かなり厳しいものには


なる。




ただでさえ


国技館は


御年配の方か


その孫たち


といった感じで


自分はかなり


浮いていた。




近年で言えば


若貴ブームがあり


下火になり


朝青龍現象が


あった時に


相撲界が


盛り上がるように




結局は


関取という







が重要なのは


火を見るより


明らかなのでは


ないか。



という事は


今後も


スターを


待つしかないのか。




しかし


わかりやすい


パフォーマンスは

望まれても


今はできない。



相撲は


神への奉納であり


国技であり


その仕組み


システムは


変化を禁じている。




だから


時代が変われど


ガッツポーズも


タブーなのだ。




甲子園での


高校野球も


昔はガッツポーズが


禁じられていた。




しかし


ある日から


金属バットが解禁され


ガッツポーズも


少しずつありになり


今では


メジャーリーグと


変わらない


ガッツポーズを


観る事がある。




しかし


大相撲は


そうは行かない


ある種


宿命にある。




しかし


時代は


21世紀。




人気は維持しなければ


ならないが


変化できない。




このジレンマが


今多分


究極の所まで来ていて




そのピンピンに


表面張力のようになった




『ジレンマの水面』




から


時々


朝青龍は


顔出し


そこが問題として


扱われて来た


ような気がする。




他の


様々な問題も


あったが


多分


この『ジレンマの水面』


が限界に来ている


のかもしれない。




しかし


変われないと言っても


変われるところも


たくさんあるかも知れない。




例えば


国技館で気になったのは




チケットを買うお店が


決まっていたり


チケットを買うと


大量のお土産が


自動的に渡されたり


案内してくれた人に


お金を渡すという事が


決まりというか


常識なのか


になっていたり


していた事だ。




もちろん


そういう文化もあるだろうし


行くからには


そこに順応しなければ


ならないかも


しれないが




僕は


欧米のチップ


でさえも


疑問に思っているので 笑


何か


腑に落ちなかった。




そういう所ぐらいから


改革してもいいのでは


とは思う。




ここは


大きな分岐点。




伝統を重んじるなら


徹底的に守り


最悪客が減ろうと


貫くか




少しずつ


変えて行くと


宣言するか




ハッキリ


コンセプトを


打ち出さないから


もめる気がする。




果たして


今の優柔な


相撲協会が


そんな


ハッキリした


舵をとれるかは


見ものであるが。




伝統か


構造改革か




それとも




共存か。




自然と文明の共存


もののけ姫のように




あると


個人的には


思う。




おちまさと




時間切れ。


また書こう。