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イエメン・ドバイ旅行6日目

2008/01/16(水)


この日はイエメンからドバイへ移動。


ホテルから空港へは車で移動しました。

旅行代理店の人に既に依頼していたので迎えに来てくれました。

面白いのはairport(エアポート)の発音がエルボルトというので

何のことを言っているのか最初はわかりませんでした。

rの発音を「ル」とはっきりいうのと、pの音を b or v の音で発音します。

昔研究室にエジプトから留学していた人も

pの音を b or v の音で発音するので

教授のことをプロフェッサーでなくと

ブロフェっサーと発音していました。

アラブ人特有なのでしょうね。


空港に着いて手続きする時に

荷物を勝手に運んでくれて、

10mほどしか運んでいなのに

1ドルよこせなどと言う人がいました。

結局、イエメンの外貨が余っていたので少し払いましたが、

まだまだサービスがわかっていないという印象です。

これなら山登りに案内してくれた人にチップをあげた方がよかったです。


出発が30分ほど遅れました。

事情が詳しくわからないので

ちょっと心配しました。

周りや掲示板表示を見る限りでは私が乗る飛行機はまだ出発していないので

大丈夫だ大丈夫だと自分に言い聞かせていました。


その後は特に問題なくドバイへ。


飛行場からホテルまではタクシーで向かいました。

タクシーから見た限りでは

まだドバイらしさを印象付けるようなすごいものは見えませんでした。


ホテルでは到着してから1時間ほど待ちました。

後で、海外事業部の猪原さんにそのことを話すと

ダブルブッキングしていたのではと言われました。


泊まったホテルは中くらいのホテルで

荷物を部屋に持っていって

整理している時に部屋に電話がありました。

中東駐在所にいる猪原さんからの電話です。


職場から仕事場に向かうとのこと。

車でホテルの近くまで来てくれました。

それから日本食のお店へ。

海外の食事ばかりで私の胃が疲れているのではないかという配慮です。

お店には他の日本人の人もいました。

その後、お土産用のピスタチオのお店に連れて行ってくれました。


この日はこれで終了。

イエメン・ドバイ旅行5日目

2008/01/15(火)


朝7時40分にホテル出発。

首都サナアから西へ、ハジャラ、マナハという地方へ。

11時頃に到着し、トレッキング開始。

この辺りは、険しい山々で有名だそうで、ヨーロッパの方々も

トレッキングに来られるそうです。

ガイドのイエメン人の後を追って歩いて行きました。

最初少し高いところに登った後は、横に移動して行きました。

途中で家畜のヤギの群れに会ったりしました。

最後の方では急斜面をそろりそろりと歩いて行きました。

再度、村に到着する時

ガイドの人からお金を要求されたのですが、

もう旅行代理店の方に払っている分から、渡されると思っていたので

言葉がわからない振りして、知らん振りしていました。

そのガイドは最後には「ビジネス」と言っていました。

後で旅行代理店に要求するみたいなことを言っていました。

言っている意味はわかるのですが、客の前でそのようなことを言って

客を不快にさせるようだと、イエメンの観光はまだまだと感じました。

1時半に到着したので、2時間半ほど歩いたことになります。

暑かったですが、風がふいていたのと乾燥していたので

Tシャツ+長袖でも汗だくにはならなかったです。


村についてから昼食を取りました。

丁度、ヨーロッパのツアーの人たちがいました。

そのツアーの人たち向けに地元の踊りを披露し、

私はそのおこぼれで、見させてもらいました。

そして、ご飯を食べて、首都サナアに戻りました。


ホテルには5時20分に着。ドライバーには最後の挨拶しました。


その後、夜に昨日に引き続き街に出かけました。

実は前日に地球に歩き方に載っているアイスクリームのお店に

行こうと思っていたのですが見つからず、あきらめたのですが、

この日は最後なので何度もお店があるという辺りを行き来して

何とか見つけました。

お店で南アメリカの人とイエメン人とのハーフの人が話しかけてきました。

この日とは旅行代理店をしているそうです。

イスラムのことをどう思うか、などと、聞かれました。

丁度日本人観光客3人組も来店していて、そちらにも質問していました。


この人や私がお世話になった旅行代理店の人など

イエメンで賢いと思われる人は、観光をされているようですね。

代理店で直接お世話になったスタッフの人も

お金を貯めて奥さんを買いたいなどと言っていました。

そういう人たちはサービスが良いです。

山歩きのガイドはサービスの意味がわかっていない感じがします。


ホテルへ帰って寝たのですが、

汚い話ですが、12時頃に起きて、トイレに行くと

下痢をしてしましました。

旅行に行って、体調を崩すのは初めてです。

旅の疲れか、トレッキングの疲れか、

トレッキング後、手を洗わずに食べ物を手を使って食べたせいか、

辛いもの続きで胃などが疲れたのか、

昼食をお腹一杯食べたせいなのか、

いろいろ理由を考えてしまいましたが、どうしようもありませんでした。

この日はこれで終わり。

次の日は、イエメンを離れて、ドバイへ。

イエメン・ドバイ旅行4日目

2008/01/14(月)


朝早く、5:30頃に目覚めて屋上へ。

この間の3人組みとは違う日本人女性がいました。30歳くらいでしょうか?

銀行系で働いていて、久々の有休を取って連休を利用して

1週間弱の旅行に来ているそうです。

すぐに日本へ帰ってしまうそうですが。

イエメンという辺境の地にも結構日本人が来ています。

ドイツに旅行に行った時は、日本人より中国人が多く

中国パワーを感じましたが、イエメンのような国には

中国人はまだまだ興味を示さないようで

アジアの人種は日本人くらいです。

ヨーロッパの人がトレッキングに興味を持ってこられたりしていますが。

イエメンはトラッキング向きのほどよい山があるようです。


私の階(最上階)のシャワーは出が悪かったので

1階のシャワーを借りました。


朝食後、日帰りツアーへ。

ガイドのモハンメッドがホテルへ迎えに来てくれて

車が一台、ホテルの近くまで来ており、

そこまで案内してくれました。

運転手のイエメン人と2人で、出発。

運転手は60歳くらいのおじいさんでした。

英語は殆どわからないそうで

何かあった時は片言で話していました。

行き先は首都サナアの近郊の町ですが、

ワディ・ダハール、シバーム、コーカバン、スーラです。

おじさんの発音と地球の歩き方に書いてあるカタカナは

少し違う感じなので看板などを見て、いまどこにいるのか

確認していました。

最初は、ワディ・ダハール。

地球の歩き方にも書いてあるのですが、ロック・パレスという建物があります。

1930年代にイエメンを支配していた人の夏の別荘だそうです。

車から降りて、見学してきました。

今にも落ちそうな岩壁の上に建物はありました。

日本のような地震のある国ではとても建てられないようなところにありました。

建物を見学した後、隣の建物にも行ったのですが、

現地の高校生くらいの女の子達が、

学校の研修か何かでわんさか(40人くらい?)いました。

イスラムの女性らしく黒い服を着て(顔は隠していないですが)いました。

私が珍しいのか、私の方を見てなんだか笑っていました(はしゃいでいた?)。


その後、次の目的地へ。

トゥラ(THULA)とかいう街で一時間過ごしました。

地球の歩き方にも載っていない街です。

ここで嫌な目に会いました。

ドライバーから一時間程自由にして良いと
言われ車から降りるとすぐに
ガイドのような男が現れ
「私、***」(***は、「太郎」のような日本語名。どんな名前だったか忘れました。)
と言いながら、ガイドをするといって付いてきました。
街の方へ向かう途中に店があり、そこに寄るように誘われたのですが
そこのお店でアラビア風の交渉をされました。
頭に巻くスカーフのような布を購入するように勧めてきて

私の財布の中を見せろ、と言ってきました。

しょうがなく見せると、財布の中身の金額そのままをスカーフの値段だと言ってきます。

私はまだ何日か滞在するのでお金すべてがなくなると困るのでいらない、と言ってもきかず

徐徐に値段を下げてくるのですが、かなりしつこかったです。

あまり強く言わずに断りたかったので、精神的に苦痛でした。

何とかその店を出たのですが、ガイドの男はやっぱりついてきます。

途中、欧米系の観光客が、「この子、日本語知ってるよ!」と言って

アラビアの伝統的な衣装を着た小さな女の子が日本語のあいさつを知っているのを教えてくれました。

そこで女の子が小物を売っていて、小物を買ってくれたら

写真を撮らせて上げる言われたのですが断りました。

どうもこの街は観光客がくると、物を売りつけてくるようです。

ちょっとうんざりしながら街を歩きました。

一応ガイドの男が一回り案内してくれると言うのでついて行きました。

途中でその男の家に寄って、ロバを片付けるのでちょっと待ってくれ、と言われ待ちました。

一回りしていくと、結構街中で補修工事みたいなことをしているのですが、

世界遺産か何かに指定されていて、ユニセフか何かからお金をもらって補修しているそうです。

嫌な気分を味わいましたが、一応一通り街中を案内してもらったのでチップを渡し、

ドライバーの元へ戻りました。


そこから20分ほど行くと、ハバナという街に着きました。

ここは観光としてではなく、ドライバーがモスクでお祈りするために一時的に寄りました。

貯水池のようなものがありました。

子供達が寄ってきて、「紙をくれ」だの「書くものをくれ」だの「ティッシュペーパーをくれ」だのと

言ってきました。

(現地語でしゃべってきたことをドライバーが「ペン」だの「ペーパー」だのと

 片言で説明してくれて理解しています。)

お金ではなく、そんなものがほしいんだと不思議に思いました。

あいにく紙はなく、ペンも余分を持ち合わせていなかったので
何もあげられなかったです。

池の中に魚がいると言って、指し示し、見せてくれようともしました。

写真を撮らせてくれました。

(向こうから撮ってくれ、と言ってきました。

 デジカメの画面をみせると喜んでいました。)


ドライバーのお祈りが終わると、また少し移動しました。

40分後にシバームに到着し、昼食を食べました。


アラビア風のじゅうたんの敷かれた部屋に案内され、
簡単な机でしたが、その上に料理を並べてくれました。
量は結構多いので、食べ切れません。
ナンの量は多いので、余らせて、
おかずは出来るだけ食べました。

そこからしばらく車に乗って、
シバームとコーカバンへ。
二つの町の標高差は、350mで
下にあるシバームが農業と商業の町、
上にあるコーカバンは軍事を担当していたそうで、
上のコーカバンから敵を監視していて、
敵を見つけるとコーカバンの人は、山を駆け下りて戦い、
シバームの人は山を駆け登り、助けを求めたのだそうです。
車でコーカバンまで連れて行ってもらい、
そこからシバームへの道を歩いて降りて行きました。
運転手は先に車で降りて、待っていてくれます。
山から下を眺めながら、昔の人もこんな感じの風景を見ていたのだろうと
想像を膨らませていました。
本当に開発が進んでおらず、道以外は殆ど昔そのままのようです。
朝に寄ったワディダハールに飾ってあった、1940年頃の写真を見ても
道とゴミ以外は、ほとんど現在と建物や周りの風景は変わっていません。
本当に昔の人は道のない砂の上を、今とほとんど変わらない風景を見ながら
ラクダに乗って移動していたと感じます。
遠くに首都サナアが見えるのも感激してしまいます。
さて、そんなことを考えならが、道を降りていくと
二人の少女が座って待っていました。
私を見つけるなり、坂を駆け上ってきて、何事かと思っていると
ティッシュをねだり始めました。
ちょっとびっくりしたのは、歩きながら勝手に私のカバンのチャックを開けたことです。
その後、感心したのは、ティッシュを取り出したのに
これがほしいとおねだりしてきたことです。
私はチャックが開けられたのは気づかなかったので
そのまま持っていってもわからなかったのですが、
女の子はそんな泥棒のようなことはしませんでした。
それでティッシュを上げた後、お礼に写真を撮らせてあげるということなので
写真を撮らせてもらいました。
(ちなみに英語でやり取りしている訳ではありません。
単なる身振り手振りです。)
写真を撮った後は、シュクラム(ありがとう)と言って、立ち去って行きました。

その後、歩いて下まで降りて、民家が見えてきたところで、
また別の女の子に会いました。
その子は、鉛筆だったか紙だったか
書くものか何かをおねだりされたのですが、
持っていなかったので、何もあげれませんでした。
私が立ち去ろうとして、道が2本に分かれていたので
片方の道を行こうとすると、その女の子が、体全体を私に押し付けて、
「ナン、ナン」(No、No) と言って、もう片方の道に行かせようとしました。
きっと道が違っていることを教えてくれたんだろうと解釈し、
その女の子が教えてくれた道を行きました。
その道の方が正しく、運転手さんの車が駐車場で待っていました。
女の子の親切心に感激し、また、背丈が私の腰の高さくらいしかないのに
体全体で私を押す彼女のけなげさ、かわいらしさにも感激しました。

その後は特に寄り道せずに、首都サナアまで帰りました。
夕方4時半頃に宿に着きました。
その後、宿の屋上で紅茶を飲んでくつろいだ後、
1時間ほど寝て、町へ歩いて出てみました。

外が暗く、野犬が遠吠えするので怖かったです。
(狂犬病の予防接種はしていません。)
町まで出ればそれなりに明るいのですが、
なんとなく暗い道だったりもしますし、アラブ世界の勝手もわからず、
前後左右を常に意識しながら歩きました。
夕食を地球の歩き方に出ているホテルで食べようかと思っていたのですが、
なんだか高級なホテルで入りづらかったので
途中のお店でテイクアウト出来るものを買って食べました。

帰り道でたまたま運転手さんに会って声をかけられました。
声をかけられないと他の人と見分けがつかないです。
たまたまその運転手さんは足に包帯を巻いていて
最初に私に声をかけて、私が気がつかなかったので
包帯を指差して、気づかせてくれました。

疲れていたのか、8時半にはベッドに横になって
勝手に寝てしまっていました。